夕子は空を仰いで呟いた。

「昔は上流に遊水池やため池があったんや。普段は田圃。洪水のときはわざと堤を決壊させるんや」と暗い闇が応える。

「今はどないなってるん?」

夕子が訊くと、「さあな、上流も堤防のきわまで家が建ってるやろ。昔の自然を活かした調整機能はもう忘れられたんと違うかな?」

悠輔の声が消え入りそうだ。

「見に行ってみるわ」と夕子。

「止めとき。あぶないさかい」

悠輔の声が微かに聞こえたような気がした。

それでも夕子は合羽を着て傘をさし、桜の園の北東の角の木戸を開けて堤防の裾と桜の園の間の三メートルほどの河川管理道路を上流に向かって歩く。時どき、管理車両が入るらしく、草むらの中を二本の土色の轍跡が続いている。

雨は先が見えなくなるほど強くなったり、弱くなったりしている。

稲妻と雷鳴の間隔が短くなった。

黒雲が渦を巻き、ちぎれ飛ぶ早さで流れる。風雨は横殴り。傘はとっくに用をなさない。骨が折れたので帰りに回収するつもりで道に置いてきた。

夕子は落雷を恐れながらそれでも、五分ぐらい歩いた。道の左手は傾斜のある草原(くさはら)の堤防と右手は畑だったがやがて、管理道路に接して小さな建て売りが並ぶ住宅地に出た。

 

次回更新は3月30日(日)、22時の予定です。

 

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