【前回の記事を読む】満開のしだれ桜の樹の下での初夜――17歳の私の相手は初めで最後の男だった
薄紅色のいのちを抱いて
大島桜
桜の園の大紅しだれ桜はすっかり散った。
大紅しだれ桜への園路が俳句の季語にもなっている桜蕊 (さくらしべ)で真っ赤に染まった。夕子はその沈んだ赤に心を重ね、華やぎの去った悲しみに似たおもいに囚われながら竹箒で蕊注1)を掃き寄せる。
夕方から雨だというから、それまでにはできるだけ掃き集めておきたい。蘂は雨に濡れると掃きづらく厄介だった。土の園路だから水道 (みずみち)ができて、雨水升へうまく流れ落ち手間が省けることもあったが、あまり期待できない。
桜の園は大紅しだれ桜が終わって、園の入り口にある大島桜が満開を迎えている。
夕子はじっと観る。
「ウチんとこもええけど、大島桜はやはり、御所の丸太町通の堺町御門を入ったとこにあるんが逸品やとおもうとるんや」
また悠輔の声が夕子の耳に甦る。
「そうやね……」
夕子は大島桜にやや濃い白い影を見る。大島桜の純白の花は遠目にもよく目立つ。そばに立つとほんのり淡い香りが漂う。
夕子は大島桜の花が終わったら、娘の桜子と孫の麻美を呼んで今年の分の葉を漬け込み、悠輔が好きだった桜餅を作って仏壇に供えようとおもった。
桜餅は餡の美味さから言えば、有名菓子店から買ってきて供えるほうが悠輔は喜ぶかもしれない。
でも、ふたりで仕込んだ塩漬けの大島桜の葉は去年の分がまだ冷蔵庫にある。一年貯蔵した葉は仄(ほの)かに立つ香りが深い。
ふたりで柔らかそうな葉だけを選んで漬けたのだった。そのとき、悠輔があっけなく逝ってしまうなんて少しもおもっていなかった。夕子はふたりの気持ちも一緒に漬け込んだ気でいたからなおさら手作りの桜餅を供えたかった。