やがて満月が昇って大紅しだれ桜は月光の輝きにつれて、花びらは銀片の煌(きら)めきを持ち始めた。花びらの舞い方にゆらりとした煌めきが加わった。大紅しだれ桜の周辺の闇はさらに薄紅色に薄められ、やがて銀色に、そして白色へと変幻し、色褪せることはなかった。
二缶のビールの一気飲みで酔いが回ったせいか、『源氏物語』巻八「花宴(はなのえん)」の源氏の君ではないが、ひとさし舞ってみたくなって、TVで観たうろ覚えの「春鶯囀(しゅんおうてん)」をでたらめに舞った。気分は昂揚し、夕子は大紅しだれ桜の向こうの薄紅色の闇に悠輔の姿をおもい浮かべる。
静寂のなかに雅楽の音が混じり、薄紅色の闇が華やいだ。
「今宵は満月。楽しみたいがもう遅いさかい休んだほうがええよ」
満月にも群雲がかかる。同時に悠輔の顔が翳った。
「いやや、夜明けの花見しまへんか?」
夕子は下を向いたまま言った。心のなかでは早く群雲が消え去るのを願った。
夜明けは紺色から一瞬、白色の世界に変わる。薄紅色の闇をどう変えるだろうか。観てみたい。
「悠輔あきまへんえ。夜明けまでここにおっとくれやす」と夕子。
「日が昇るまでは、おられへんで」
悠輔は悲しそうな声で言った。
その瞬間、ひとしきり風がわき起こり花びらの乱舞が始まった。
次回更新は3月27日(木)、22時の予定です。
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