気のせいか、どこからか悠輔の声が聞こえたようにおもえた。
改めて桜の下で耳を澄ます。川の瀬音が一段と高まる。夕子は悠輔の分の缶ビールも一気に飲み干し、手の甲で唇をぬぐった。
「花の数、増えたかな?」
また悠輔の声が聞こえる。
「あんたもそうおもいはる?」
夕子は頭をやや上げて、「根元から半径3メートルぐらいの円に発根促進剤を注入してみたの」と続ける。
「そうか、おおきにありがとうな」
「あんたとウチの想い出の樹やさかいな」
夕子は闇に向かって小さな声で囁くように話しかけたが、彼女の声が悠輔に届くだろうかと怪しんだ。というのは悠輔が夕子の呼びかけに激しい桜吹雪で応えてくれるみたいにおもっていたのに、花嵐は激しさを増すどころか何の変化もなかった。ただ降りしきっていただけだった。
急に夕子の胸のうちに悲しみに似た感情が胃液の逆流のように苦く湧き上がってきた。それで夕子はもっと大きな声でほとんど叫ぶように言ってみた。
「あんたとウチの想い出の樹やさかいな」