ボロブドゥールは西暦七八〇年ごろ、当時中部ジャワに興った仏教国、シャイレンドラ王朝が建造、約五十年の歳月をかけて完成した。しかし、シャイレンドラ王朝が崩壊すると、密林の中で火山の灰に埋もれて、一八一四年イギリス人のラッフルズに発見されるまで、約千年の間、人々の記憶から忘れ去られていた。

広大な史跡公園の参道を進むと正面に一辺の長さが百二十メートル、高さが三十五メートルの巨大な石の建造物が現れる。その遺跡は盛り土の上に二百万個の石のブロックが接着材を使わずに積み重ねられているという。それでも二〇〇六年の中部ジャワ地震では全く被害はなかった。

基壇の上にある四段の回廊の壁面は、細かいレリーフで埋めつくされている。各回廊には如来像が外を向いて鎮座し、回廊を登るたびに少しずつ視界が広がる。四段目の回廊を上がって最上部の円壇に到達すると、一気に視界が広がり、鐘のような形をした仏塔がいくつも現れ、シュールな世界に入る。

ここは物質世界から解脱した無色界を表しているとのことであるが、私も歳を重ねるごとに視野が広くなり、無の境地に近づきたいと思った。

最上部から周りを見渡すと、周囲は広大な密林に囲まれており、千年もの間、発見されなかったのがわかる気がする。遠くには過去、何度も爆発を繰り返し、今なお噴煙を上げているムラピ山を見ることができ、ふと美しい仮想の世界にいるような気がしてきた。

ボロブドゥールの公園から門の外に出ると、再び物売りがしつこく追いかけてきて、現実の世界に引き戻される。うんざりしながら物売りを振り切って駐車場の方へ歩いていくと、先ほどのベチャのおじさんがじっと待っていた。

ムンドゥッ寺院はだいたいこの辺だと言われてベチャから降ろされた。ずいぶんいい加減である。目の前にたくさんの仏像のある寺院らしきものがあるが、建物も新しくどうも様子が違う。しばらく歩き回り、ようやく石造りの塔堂を見つけた。

塔堂の中に入ると、ひんやりしている。仏像にしては妖艶で涼しげな表情をした高さが三メートルほどもある大柄な如来像が脚を少し開いて椅子のようなものに座っている、その両側には片足を椅子の高さに保ち、もう一方の足を降ろした菩薩像が二体あった。

広隆寺の弥勒菩薩のようなポーズである。まさかインドネシアでこれほど美しい仏像に出会えるとは思わなかった。ムンドゥッ寺院はボロブドゥールと同じころ、八世紀末から九世紀初頭にかけてシャイレンドラ王朝により建立されたが、やはり千年もの間、火山灰の泥の中に埋もれていた。

バス・ターミナルに向かう途中、エロ川の橋のところでちょうどジョグ・ジャカルタ行きのバスが来たので、ベチャのおじさんは手を挙げてバスを止めてくれた。彼にはチップを含め五万ルピアを渡して、バスに乗り込んだ。振り返ると、彼はじっと立っていてこちらに手を振っていた。

 

次回更新は3月28日(金)、8時の予定です。

 

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