ホテルの一階にはインディゴという西洋料理から日本料理、インドネシア料理まで提供する多国籍レストランがある。

木製の階段を上って二階に行くと、格調の高いアンティーク・インテリアとシャンデリアに囲まれたサーキーズというチャイニーズ・レストランがあり、優雅な気分であっさりして上品な中国料理を嗜むことができる。

ある日、ここで日本から来た社長と食事を取っていると、レストランの支配人らしき人がやってきて、このホテルの歴史を説明してくれた。

このホテルはオランダが支配していた時代には「オラニヤ・ホテル」と呼ばれていたが、一九四二年日本軍がスラバヤを占領すると、ここを接収して「ヤマト・ホテル」と名前を変更した。

一九四五年八月十五日、日本が第二次世界大戦で連合軍に降伏すると、再びオランダの国旗が掲げられ、十月にはイギリス軍がスラバヤに上陸してきた。これに対し、インドネシア軍は日本軍が置いていった武器で戦い、スラバヤにいたイギリス軍を全滅させた。

この時、インドネシア人の青年が「ヤマト・ホテル」の屋根に上り、掲げられていたオランダ国旗を引き裂いて赤と白をつなぎ、インドネシア国旗として掲げた。その後もインドネシアは各地で再び侵攻してきたイギリス軍、オランダ軍と戦い、一九五〇年にようやく完全な独立を果たした。

サーキーズから二階のベランダに出ると、湿った暖かい空気が体を包み、暗い闇の中にこのホテルの周りにあるコロニアル風の建物がほんのりと浮かび上がっている。オランダの植民地時代、日本軍の統治時代、その後の独立への壮絶な戦いといったインドネシアの激動の歴史が目に浮かんでくる。

次回更新は3月24日(月)、8時の予定です。

 

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