【前回の記事を読む】「臭い、臭い」と、僕のおしっこを後始末するママ。だんだん家に居づらくなり、ストレスが増えた。やっぱり外の世界が恋しい

1、にゃん太郎物語

あれ以来、智子ママがどんなに心配して僕を探していたか、猫の僕にはわかる訳がない。外の世界で生きていくことで精いっぱいの日々だったのだ。それに、僕には、あちこち冒険する楽しみと同時に、何とか一人で生きていく術(すべ)も身に付けていた。

木々の葉が色付きはじめた満月の夜だった。僕は涼しい風に誘われて、真夜中の散歩に出ていった。すると前方に、久しぶりに神出鬼没の"ボス猫"を見つけた。

「待ってよー」

彼の後を追って道路を横切ろうとした時、猛スピードで走ってくる車が見えた。急いで向こう側に渡ろうとした。

キキキキィーッ! 

一瞬何が起こったのかわからなかった。車のブワーンと走り去る音とともに、僕は草むらに転がり込んだ。

急に左足に火がついたような痛みを感じた。骨が折れたかもしれない。しばらくは動けず、じっと痛みに耐えながら、左足をペロペロと舐め回していた。

どれくらい時間が経っただろうか。東の空が白々としてきた。これまでの記憶が走馬灯のように頭の中を駆け巡り、智子ママの顔が見えた気がした。僕が園田家の家族として暮らしたことや、智子ママや芳江さんの顔も、みんな思い出した。

僕がこの世に生まれてきたのは、僕の人生(いや猫生)を人間と一緒に楽しむためだったのだと、その時悟った。優しい家族に出会えたことが、僕の本当の幸せなのだ。

人間にはなれないが、やっぱり智子ママと一緒に暮らしたいという思いが、たまらなく強くなってきた。こうなったら仕方ない。智子ママの家に帰ろう。きっと何とかなるさ。僕を助けてくれるのは、ボス猫ではない。飼い主の智子ママなのだ。僕は勇気を出して、智子ママの家、いや僕の元の家に戻ることにした。

「にやん太郎、よく帰ってきたね」

と言って、智子ママは喜んで僕をキャリーバッグに押し込み、あのヤブ医者じゃなくて、きっと別な病院に連れていってくれるだろう。大丈夫だ。もう覚悟はできている。

足の痛みは大分薄らいできたので、引きずりながらどうにか歩ける。僕は足を引きずって、ふらふらと歩き出した。途中休みながら歩いていると、頭がボーっとしてきた。 

ふと気がつくと、目の前に智子ママの家が見えた。玄関が開いていて、男の人と話している智子ママの姿が見えた気がした。

急いで、その男の人の足元にすり寄っていった。二人とも気難しい顔をして話していた。「ママ、僕だよ」と言ってよく見ると、人違いだと気づいた。僕は恥ずかしくなって、すぐに玄関から飛び出した。

外は北風が吹いていて、寒かった。足の痛みが少し強くなったようだ。早く智子ママに会いたい。でも智子ママの家は、どっちのほうだっけ?