商人
中世においては遠隔地易が盛んになり、商人は、フランチジェナ街道を通って、毛織物、燻製の肉や魚、塩、香辛料などを各地に運んだ。しかし当時は、追い剥ぎや盗賊が多く、往来は命がけであった。街道沿いの都市シエナは、貿易に必要な手形決済などの銀行業や商業により栄華を誇った。

写真を拡大 モンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ銀行本店(→第11章。1472年創業で、現存する世界最古の銀行である。その前の像は17世紀の会計学者サルスティオ・バンディーニ)
山賊
人の往来増加に伴い、フランチジェナ街道には、しばしば山賊が出現した。出自は経済的に困窮した騎士や元傭兵、罪を犯したり借財したりして地元を逃亡した農民など、様々であった。ラディコーファニを拠点に「トスカーナのロビンフッド」として知られた義賊ギーノ・ディ・タッコも、元は貴族出身だった。

写真を拡大 山賊でありながら中世から現在まで愛されている ギーノ・ディ・タッコの像(ラディコーファニ→コラム P92 )
巡礼者
中世の巡礼は過酷そのもので、山賊、飢え、病いなど様々な危険と隣り合わせであった。記録に残る一般的な服装は、ゆるやかなマントや長めのスモック、フードなどを羽織り、つば広の帽子と杖というスタイルで、僅かな食料とお金を皮袋に入れてベルトに下げ、全身土埃だらけで何日も歩き続けた。

写真を拡大 壁画に描かれている巡礼者(ストリ「安産の聖母の礼拝堂」→第3章)
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