【前回の記事を読む】~コロナ禍のイタリアで280km歩いた話~2021年1月、ローマはまだロックダウン下。人気のない街からスタートした。

1 旅の始まり・ローマ

モンテ・マリオの丘

ローマを目指してフランチジェナ街道を歩いてきた巡礼者は、ここでサン・ピエトロ大聖堂の大クーポラ(ドーム型の天井)を初めて目にすることになる。

その美しさを前に、長い旅があと1歩で終了することを神に感謝したことであろう。周囲には豊かな自然が今も残っており、近隣住民の手軽な散歩コースとなっている。たまにジョギングをしたり、犬を散歩させたりする住民に出会うと、「ボンジョールノ」と挨拶をしてくれる。

実際に人と出会うと少しほっとした気分になった。 ちなみにこの丘からは、ムッソリーニ時代に作られたスポーツ施設群がすぐ近くに見える。1960年のローマオリンピックでは、メイン会場となった場所である。

その先の石橋は、紀元前2世紀に造られたミルヴィオ橋である。崩壊と改修を経ながら、現在も人が往来する。312年には、この橋を舞台に、キリスト教の神から啓示を受けたローマ皇帝コンスタンティヌス1世が政敵マクセンティウスと戦って勝利を収めた。この戦いは、同皇帝がキリスト教を公認したきっかけとして、数多くの絵画に描かれている。

モンテ・マリオの丘から眺めたミルヴィオ橋方面。中央左手はスタディオ・オリンピコ。サッカークラブの強豪「ASローマ」の本拠地でもある。その奥の白い建物はイタリア外務・国際協力省。元はファシスト党本部として使われる予定だった。
ミルヴィオ橋北端にあるヴァラディエの塔。ミルヴィオ橋は、現在では歩行者専用の橋となっている。写真の塔は、1805年、教皇ピウス7世の命により建築家ジュゼッペ・ヴァラディエが建てたもの。右の彫像は、洗礼者ヨハネ。

トリオンファーレ通り 

モンテ・マリオの丘を越えるとトリオンファーレ通りに出る。この道は、かつてローマとその北に位置するエトルリアの都市ヴェイイを結んでいた。

古くは「勝利の道」(Via Triumphalis)と呼ばれた道で、これは紀元前396年、共和政ローマがヴェイイに勝利した際、将軍がここを通ってローマの中心カンピドーリオの丘まで凱旋したことに因んだものである。この古代ローマ時代の名残で、現在も通り沿いの建物の地番は、カンピドーリオの丘までの距離がそのまま番地になっており、番号順ではない。

トリオンファーレ通りで見つけたプレート。「数字はカンピドーリオの丘までのメートル数を表しています」とある。利便性を度外視して、今もなおローマ中心との繋りを強調しているところがユニークである。

ラ・ストルタ 

大都市ローマの市街地を抜け、ローマ環状道路(GRA)を越えて更に北にしばらく進むと、ラ・ストルタの街である。

この地名の由来には諸説あるようだが、ローマから北へ延びる旧カッシア街道がここでよじれて(ストルタは「よじる」という意味)、旧クローディア街道に分岐する場所だから、という説が有力なようである。