古代からローマ中心部に入る手前の宿場町であり、ローマ帝国時代には、全土に皇帝の命令を伝える伝令使の事務所があった。東海道五十三次でいえば、江戸の手前の品川宿に相当するだろうか。
現在ではローマ近郊のベッドタウンとなっており、中心地にはローマ有数の国際学校であるセント・ジョージ・ブリティッシュ・スクールのメインキャンパスがある。
見どころはラ・ストルタ駅前、カッシア街道沿いにある小さな礼拝堂である。「示現の礼拝堂」と呼ばれ、1537年、聖イグナチオ・デ・ロヨラがローマに同志とともに向かう途中に祈りを捧げた際、御父とキリストが現れ、御父が聖イグナチオをキリストの側に置いたことを悟ったとされる場所である。

聖イグナチオは、この出来事により、ローマで望みが叶えられることを確信し、実際その通りになった。ローマ到着後教皇パウロ3世に拝謁を許され、イエズス会の創設が認可されたのだ。これは「ラ・ストルタの示現」と呼ばれる奇跡であり、数々の宗教画に描かれている。
このラ・ストルタでもう一つ忘れてはならないのは、1944年6月4日、ローマを解放した連合軍から北へ逃走するナチス・ドイツ軍が、拘束していたレジスタンスら14名をこの地で銃殺した事件である。
レジスタンスらはローマから連行されてきたのだが、おそらく足手まといになったのであろう。イタリアでは、1943年に連合国に降伏後、全土でファシズムに対する激しい抵抗運動が発生、各地で多くの犠牲者を出した。現在のイタリア共和国は、こうした尊い犠牲の上に成り立っている。
今回は、ローマからラ・ストルタまで約19kmを5時間かけて歩いた。振り返ると、モンテ・マリオの丘からこのラ・ストルタまで、所々に歴史的な場所が現れて、全く退屈することはなかった。どれも興味深いものだったが、これらの旧跡が日本であまり知られていないのは、悠久の歴史を有するイタリアにおいて、素晴らしい旧跡があまりにも多すぎるためかもしれない。
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