はじめに
「カトリックの三大巡礼地」といえば、多くの方がご存じの通り、エルサレム(キリストの墓)、ローマ・バチカンのサン・ピエトロ大聖堂(聖ペテロの墓)、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラ(聖ヤコブの墓)の3つである。
フランチジェナ街道は、このうちローマ・バチカンを目指す約1700km の巡礼路で、英国のカンタベリー大聖堂からフランス、スイスを経て、カトリックの総本山であるサン・ピエトロ大聖堂までを結んでいる。また近年では、ローマから更にイタリア南部プーリア州を結ぶ道もフランチジェナ街道として認定されている。
起源は中世ランゴバルド王国の時代まで遡る。ローマ教皇ボニファティウス8世が1300年を「聖年」と定めた際には、人々はこぞって「フランチジェナ街道」を通ってローマを目指した。一説によるとこの年だけで200万人もの巡礼者がローマを訪れたという。
また中世ヨーロッパ経済の発達に伴い、数多くの商人達もこの道を頻繁に利用した。時代は下って16世紀、日本から遠路はるばるイタリアに渡った天正遣欧少年使節団も、このフランチジェナ街道を歩いたという記録が残っている。
このような華々しい歴史を持つフランチジェナ街道だが、ある時期から廃れ、イタリア国内でも長年忘れられていた(その経緯は後述する)。
ようやく整備が進んだのは1990年代のことである。歴史的にも宗教的にも重要な巡礼路であるにもかかわらず、スペインの巡礼路の人気ぶりと比較して不思議なほど知名度が低いのはそのためである。日本人は勿論、イタリア人でも存在を知らない人が意外に多い。
筆者がフランチジェナ街道に出会ったのは、2021年1月のことである。外出制限は多少緩やかになっていたものの、コロナ禍はまだ厳しく、人との接触を極力避けつつ運動ができればと軽い気持ちで、フランチジェナ街道を歩き始めた。
すると街道沿いには、今も500年以上前の歴史が息づく街が数多くある上に、古代ローマや紀元前のエトルリア文明の遺跡が日常の風景に溶け込んでおり、歩きながら何度も驚かされた。フランチジェナ街道に魅せられた筆者は、週末を利用して歩き続け、1年以上をかけてローマから約280km 北に位置するシエナまで踏破した。本書はその記録である。
2024年現在でも、残念ながら「フランチジェナ街道」を紹介した日本語の書籍はまだ1冊もなく、この本が日本初の「フランチジェナ街道」の解説本となる。
資料が少なく苦労したが、幸いフランチジェナ街道を整備している欧州フランチジェナ協会(The European Association of the Via Francigena ways: EAVF)の後援が決まりご協力頂いた。この場を借りて感謝をお伝えしたい。
筆者が歩いたのはフランチジェナ街道の一部に過ぎないが、本書が少しでもフランチジェナ街道への関心を高め、イタリアという国の底知れぬ魅力とその歴史の一端を伝えることができれば、望外の喜びである。