フランチジェナ街道とは
また当時のフランチジェナ街道は、東洋からの商品(絹や香辛料など)を北ヨーロッパの市場に運ぶための通商路としても使われ、多くの商人が行き来した。
フランチジェナ街道は「巡礼の道」、そして「通商の道」として、中世において宗教的・経済的に大きな意義を有したのだ。街道沿いの街は栄え、中でもシエナは、ヨーロッパの金融の中心地として潤沢な資金力を誇り、13世紀には大聖堂の建築や絵画などの芸術面でも花開いたのだった。
だが、シエナの栄光は長くは続かなかった。シエナはフィレンツェとトスカーナ地方の覇権を巡って度々衝突し、1348年にはペストによって人口の半分以上を失う大打撃を受けた。
代わりにフィレンツェがトスカーナの中心として台頭し、フィレンツェを通らないフランチジェナ街道も、その重要性を失っていく。その後、一部は残ったものの主要街道としてのフランチジェナ街道は廃れてしまった。
再び道の整備が進んだのは僅か30年ほど前で、現在は山中の多くの道も、安全で歩きやすいトレッキングコースとなっている。街道沿いには随所に標識が設置されており、フランチジェナ街道公式アプリ内に地図もあるので、道に迷う心配はない。
1994年には欧州評議会による「文化街道」の認定を受け、現在、イタリアの関係省庁や地方自治体が立ち上がり、「世界遺産」認定に向けたプロジェクトも進んでいる。
フランスの著名な中世歴史家であるジャック・ル・ゴフは、フランチジェナ街道を「アングロサクソンのヨーロッパとラテンヨーロッパの架け橋」と述べている。
人々を地域社会と結び付け、文化遺産を強化し、経済を生み出し、対話を推進するフランチジェナ街道が何百年の時を経て、再び世界から脚光を浴びる日もそう遠くないのかもしれない。
フランチジェナ街道の時代背景
イタリアの歴史は長く複雑である。これを背景に、イタリアでは現在もなお、各地で独自の文化や風習が息づいており、人の気質や食も驚くほど多様である。
フランチジェナ街道を歩く魅力は、こうしたイタリア各地の歴史と文化を肌で感じられることである。観光地ではないイタリアの自然の中を歩き、人と触れ合い、街道沿いの旧市街や史跡を訪ねることで、知識が実体験に変わる感覚を味わえる。
特に多くの人がフランチジェナ街道を行き交った中世に関する知識があった方が歩く楽しみが増えるので、以下簡単にご紹介したい。