二〇一四年四月、スラバヤに来てもうすぐ二年というころ、私から久しぶりに電話をした。すると、彼は体調不良が続いたので精密検査を受けたところ、血液のがんということがわかり、近日中に日本に帰って入院すると言う。

その後、秘書の方から岡山の病院に入院されていること、そして連絡先の携帯電話番号についてのメールをいただいた。

夏、日本に一時帰国した時お見舞いに行こうと思っていた矢先、その年の六月の初めに秘書の方から、彼が亡くなったとのメールをいただいた。享年七十四歳。せっかく、私の工場を見てもらい、ここまで改善できたと自慢しようと思っていたのに、非常に残念で、しばらく虚無感に襲われた。

第三章 還暦前の初転職

還暦前の転職作戦

インドネシア大学に入学してすぐ、JACインドネシアのジャカルタ事務所を訪問し、登録をした。ネットで求人情報を閲覧できるようになったが、年齢制限のあるものや職種では物流業務、品質管理、生産管理が多く、営業の案件もほとんどが自動車関連や電子部品、半導体、化学製品の法人営業経験者が条件となっていて、応募できる案件はなかなか見つからなかった。

おそらく、採用側は即戦力を求めていて、商品知識が重要なファクターであると考えているからであろう。

JACの担当者からは「求人には波があり、出てくる時はまとまってたくさん出てくるから心配しなくて良い」と言われた。しかし、留学を開始したころからインドネシアブームはやや下火になり、代わってミャンマーやベトナムに進出する日系企業が増えてきた。

就職が決まらず、留学が終わったら帰国するというのも当初からの想定の範囲内であったが、やはり、海外で働いてみたいという気持ちは強かった。自分なりにもう一度自分の就職力を見直し、整理して、今後の作戦を考えることにした。

この歳で、現地採用として海外転職できる必要条件は、コミュニケーション能力と専門力ではないかと考えた。

次回更新は3月18日(火)、18時の予定です。

 

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