雪のちらつく夜道を自転車でふらふら蛇行しながら家路に向かう。あと数キロで家というところにある小さな川で、あんちゃんは自転車ごと橋の下に落ちていった。水は凍りつく寸前で、酔いのために痛みはわからなかった。
通りかかった馬車に発見され、命だけは助かったが、凍傷と骨折で全治二カ月の重傷を負った。足は治ったが、歩行には後遺症が残った。足の指を二本失った。頑張ってリハビリを受けたが、以前のようには働けなかった。
畑を広げていた。フキ子さんは春からの畑を心配し、耕作してくれる人を探して畑を貸し出した。残りの半分は家族で耕作を続けることにした。フキ子さんの実家の両親も老いた身体に鞭打って、応援に入ってくれた。息子もあと数年で高校生になる。それまでの辛抱だと決めたのだった。あんちゃんも自分のせいで老親が助けに入ってくれるので、文句は言えず、おとなしく従った。
そしてフキ子さんには心から詫びた。母ちゃんは前年の暮れに亡くなり、ココはもうすぐ中学を卒業する。二あんちゃんを頼って東京で働くことにした。故郷を思わぬ形で去るのは寂しく辛かった。
あれから何と六十年もたってしまった。セピア色の写真に写っている家族は駒子さん以外すでに誰もこの世にいない。あの夕暮れの留守番のときと同じで駒子さん一人がこの世に残された。
老いるということは孤独との戦いだ。親しい家族友人が次々と、この世を去る。周りには駒子さんの孫のような年齢の人ばかり。テレビも新聞も最近の出来事はわからない。ましてITなんて宇宙人の話だ。それでもここで頑張って生きてゆくのだ。
「あんた、きれいだねえ」
美佐さんお決まりのセリフが出た。隣部屋の美佐さんは認知症があり、じっと顔を見つめ、納得したような目をしてひとこと言うのだ。
「あんた、きれいだねえ」
言われたほうは最初びっくりする、が思わず笑ってしまう。誰にでも「あんた、きれいだねえ」と感心してみせるが、ちゃんと計算してわかっていて言ってるのじゃないかしらと思うくらい、グッドタイミングなのだ。
すみれ苑でもご多分に漏れず、症状の軽度重度によっていじめもどきが利用者の間で起きることがある。ヘルパーさんの目が行き届かないときには子どものような意地悪もある。でも美佐さんにはいじめがない。
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