【前回の記事を読む】机に向かって無闇に煙草を吹かした。何だかもう永久に骸骨には会えないような気がした。

其の参

[四]

別の日には仕事の合間を見て神社で和美の練習を見守った。二人は木漏れ陽を浴びてカセットレコーダーの音に耳を傾けていた。何でも点字の楽譜がなかなか手に入らないから、それで録音した音源から自分のパートの譜面を作っているのだとか。

和美は高等養護学校の吹奏楽部に所属していた。中学の時はクラリネットを吹いていたのだが、あの事故から手にしなくなった。音楽にすら見向きもしなかったのだが、入学と同時に部活の顧問から声がかかった。

初めは入部を渋っていたものの、部員の勧誘につい根負けしてしまったのだ。それでもクラリネットだけは嫌だと駄々を捏ねると、代わりに渡されたのがソプラノサックスだったのである。

「これねぇ、新品なの。お父さんが新潟で買ってきてくれたんだけど、ほんとはアルトが欲しかったんだ」

「あ、あると‥‥デスカ?」

「そう、これ五十万円もするのよ、学校の備品の二倍のお値段。わたしにはあれくらいで十分なのに」

「そぷらのトあるとデスカ‥‥」

骸骨には何のことだか判然としなかった。和美の説明によると、サキソフォンはソプラニーノに始まり、ソプラノ、アルト、テナー、バリトン、バスまで六種類もあるのだとか。これらはみな移調楽器で、高い音域のものから交互にE♭管とB♭管となっている。それぞれの音域が半オクターブずつズレているのだとか。やはり骸骨には何のことやら判らなかった。

ほかのサックスなど見たこともなかったし、和美の吹くソプラノサックスの音色で充分に美しいと感心していたのである。

また別の日には仕事の合間を見て浜辺で水遊びをした。小径を辿って磯浜に降りると、思いのほか波の音が高かった。どぶんどぶんと腹に響く音がして、潮の匂いが濃く強く鼻を打った。水に足を浸けたいと言う和美の手を引くと、急に高波が打ち寄せて二人に水飛沫を浴びせかけたこともある。岩陰にいた蟹を捕まえて手渡し、指を挟まれたと大騒ぎしたこともある。

夕方になって汐が満ちてくると、思いのほか近くを鴎が啼きながら飛び交った。ふと見上げる空の色合いが見事だった。斜光を浴びてきらめく波の色が美しかった。空の青、海の蒼、木々の緑、雲の輝き、この世は何と色鮮やかなのだろう。これを和美に伝えたいと思ったが、その方法が判らない。それがもどかしかった。

それでも毎日が楽しかった。毎日がドキドキの連続だった。楽しい時間はあっという間に過ぎていった。いつの間にか和美は浅黒く陽焼けしていた。