私はピンポンなんてやりたくない。違い過ぎる二人。土台出来上がった空間を目にして急に思いついたことを、各々が強情に主張しているという事柄が現実であった。

余りにも性急過ぎると気付きつつも、ここに至って私はどんなに辛い試練に見舞われても、ことあの吹抜けの大空間に対して抱いているイメージは貫いていきたいと考えていた。しかし無知な背伸びは何も生み出さなかった。夫は私の絶対折れない心の変化には全く気付いていなかった。

やがて夏。引き渡された大空間。このひと夏だけでも何とか思いを叶えたくて、素人が単独行動に打って出る。七、八月の夏休みのこけら落としには苦悩の果て、正倉院が所蔵するガラスの器の復刻者「T・Y氏とその仲間展」というタイトルで企画展を開催した。

T・Y氏が泣き付く私を救済してくれた。別荘を「K倶楽部3545」と名付けてT・Y氏から披露してもらう。ちなみに「~3545」はこのあたり一帯の地番である。デビューした高原の倶楽部は人々で溢れた。企画展といわれる世界は少なくとも二年間程の準備が必要であることを教えてくれた。

思いもかけなかった旧友のエキジビションは私を元気付けてくれた。この真新しい空間は何事も無かったかのように素人の領域を超えて堂々と歩み始めたかに見えていた。しかし、これから先のすべての解決にはまだ至っていないのである。無鉄砲にも見えたこの行動はこの女の中に秘められた可能性の一歩であったかも知れない。

結婚以来、脆弱とも捉えられる専業主婦という役割を果たしてきた。不安の無い日々であった。しかし今回のこの事柄でその柵を一瞬で飛び越えて、周囲を少し見渡しているかに見えてたちまち放たれた猛牛のように、世間の常識からもかけ離れて独走している私がそこにいた。後先見ずにがむしゃらに立ち向かう。

夫は黙って私を見ていた。私は一人で世間の普通を学習した。

 

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