【前回の記事を読む】『私たちのことを私たち抜きに決めないで』――ホーム入居者ひとりひとりの声を。入居者と職員で集まるミーティングへのお誘い
第一章 介護は一方的に提供されるものではない
人生一〇〇年時代
ホーム小話
エクボばあちゃん
私のテーブルに入居してきたおばあちゃん、八十三歳の私より一回り上だというのだが(年齢は敢えて言いませんが)、「私はエクボのかわいい女の子(だったのよ)」と言う。しかしそのエクボは今はタテに入ったシワの中に埋没していて、エクボらしいものは見えない。
でもご当人の言うことを尊重して私は「エクボばあちゃん」と呼ぶことにした。エクボばあちゃんは食事よりおしゃべりの方が楽しいという。明るく陽気なのは大歓迎である。
ちなみにこの私も、昔の昔、その昔はエクボのかわいいミヨちゃんでした。しかしそのエクボも今ではほうれい線になじんで跡形もありません。多分、エクボちゃんはミヨちゃんよりもほうれい線と仲良くなったのだと思っています。
幸せの循環型ホーム
ホーム入居当初、私は「介護」はスタッフたちによって一方的に提供されるものと思っていた。「介護」が何なのか考えてもいなかったし、家族が介護から解放されるのだから看取りまで世話をしてくれる「老人ホーム」は私にとって最後の人生を保証してくれる安心安全な自分の「終の棲」であった。
入居当初の緊張と閉塞感が薄れていくと日々目にするスタッフたちの言動が見えてきた。「人はここまで人の手によらなければ生きていけないのか」と見ていたことがその背後にあったと思うが、入居して数ケ月経った時、他のホームから転勤してきた若いスタッフからこんな言葉を聞いた。