【前回の記事を読む】―こんなつもりではなかった。育ち上がった木の処分を植木屋に頼んだら無残にも…

木々のささやき

コニファー

家相判断や迷信めいた話は気にしないとはいってもどこかで気にはなっていたようで、以前、テレビで風水の専門家らしき人物が、玄関前、特に、玄関が鬼門にあたる場合は実のなる木を植えるのがいいと言っていたことを朧気ながら憶えていたボクは、少し考え、芝の苗とグミの苗木と土と堆肥と腐葉土を買い込んだ。

翌日から俄庭師となったボクは玄関先と南側のベランダ脇に芝を張り、ガレージから玄関に通じる階段を上った辺りに土と堆肥と腐植土を漉き込み、階段の上り口にある郵便ポストの脇にグミの苗木を植えた。

植えたときには小さく頼りなかった苗木の成長は思いのほか早く、季節を追うごとに大きくなっていった。玄関前は普段何気なく通り過ぎる所だから、苗木が小さいうちは全く気にならないが、ふと、気がつくとだいぶ大きくなっている。

しばらくするとまた大きくなって、やがて、ボクの背丈ほどの若木に育ち、翌年の春には緑が勢いづき、夏には鬱蒼と茂った葉が玄関前の庭の一角を占領するほどになった。

グミの木は大きくなるにつれてその存在感を増し、やがて、玄関を出入りするたびに否応なく目につくようになった。そして、そのころからボクはそのグミの木の発する妙な気のようなものに悩まされることになったのだ。

それは、曰く言いがたい感覚でとても説明しにくい、強いて言うならば〈邪気〉とでも言ったらいいのか、ボクには実をつけるその木が北東の、つまり、鬼門とされる方角から侵入する私怨や悪しき思念、有象無象の放つ邪気を一身に受け、それらの邪気を糧にして成長しているもののように思えた。

理由はよくわからなかったが、木の植わる北東はそもそも家相判断で鬼門とされる方角でもあったし、その北東は離婚や財産分与を巡って長い期間係争した元妻の住む方向でもあり、あまり思い出したくない相手の執着や怨念や恨み辛みを一身に受ける方角でもあった。

苗木から一~二年で若木に育ったそのグミの木は、やがて、その方角のもたらす邪気や人の怨念や恨み辛みや悪意が凝縮したような存在となった。そして、ボクはその木から、何か、強い〈悪意〉のようなものを覚えるようになったのだ。

そう、それはひどく険悪な感じで、その悪意が感じさせるのは明らかな〈敵意〉だった。

あるときボクは、

―このグミの木はボクが嫌いだ。と思ったことがある。いや、そんな生易しい感覚ではない。

そう、

―この木はボクを憎悪している。と確信したのだ。そして、そのときからボクもその木を憎悪した。

やがて、ボクは玄関先で待ち構える陰険なあの植物にある種の恐怖感を覚えるようになり、その感覚は日夜ボクの神経を切り苛んだ。