ボクは、

―あの木は玄関を一歩出たところにいて、この玄関を出れば顔を合わせる。そして、それはボクへの憎悪を糧に生きているような存在なのだ。と思い、そう思い出すと玄関を出るのが怖くなり、やがて、追い詰められたような気分になった。

そして、それはそんなときに起きた。

ある日、出先から帰宅して階段を上り切ったところで、ボクはグミの木の枝先に接触したのだ。薄着だったので枝先が肌に触れた。

突然、バチッと何かが爆ぜるような音がして二の腕に刺されたような痛みが走った。グミの木が毒を持つという話はあまり聞かない。しかし、家の中に入るとそこは赤く腫れていた。

そのときに感じた恐怖が怖れだったのか、怒りだったのか、憎悪だったのか、それとも、何か他の感情だったのか憶えていない。とにかく、訳のわからない恐怖を感じたボクはその生き物の処分を決めた。

それは、遅々として進まなかった離婚話が決着した直後の、まだ再婚やら入籍やらを考える心の余裕はないままサチと同居を始めたころのことで、他にも、週に二~三日は会計処理と実験設備のデータ取りのために年配の女性事務員を頼んでいた。

ボクはサチとその女性事務員にグミの木を切って投棄するように強く言った。突然、庭木の処分を指示されたサチも女性事務員もボクの唐突な言動に面くらい、一瞬、何のことかわからず、それぞれが当惑した表情を浮かべた。

しかし、意味不明な恐怖に駆られ、半ばパニックに陥っていたボクはヒステリックに、「玄関先の木を切って処分してくれ」と繰り返すばかりで、納得のいく説明など出来るはずもなく、ましてや当惑する彼女たちの心情に配慮する余裕はなかった。

今となると、そのときのボクには敵意をむき出しにするグミの木と向き合う勇気はなかったように思う。多分、訳のわからない出来事の元凶を他の誰かに押しつけて自分だけは逃げたかったのだろう。

ボクは今起きた理解不能な出来事に背を向けるように階段を駆け上がり、書斎にこもり、怖ろしいあの木のことを頭から追い出して机に向かった。

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