次は三十三間堂へ行く。「東天王町」バス停は交差点に四つある。下車した向かいのバス停で待つが、待っていたバスは素通りして交差点を右折してしまった。慌(あわ)てて近くのお店で尋ね、正しいバス停へ移動する。

「祇園」もそうだったが、バス停に路線番号、主な行き先が書かれてはいるものの、交差点の周りにいくつかある所は迷いやすい。次の「京都駅」行きのバスに乗れ、「博物館三十三間堂前」でバスを降りる。

三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)

 三十三間堂はさすがに修学旅行生で賑わっている。近世以降、妙法院(みょうほういん)所管の仏堂で、正式には蓮華王院(れんげおういん)本堂と呼ばれる。

118メートルの本堂には、運慶の嫡男湛慶(ちゃくなんたんけい)作の千手観音坐像(国宝)の左右に1000体の千手観音(国宝)が立ち並ぶ。そのさまは華やかではあるが、おおざっぱに言ってみな同じ顔、同じポーズをしている。

〈宝塚のフィナーレの舞台のように、同じ顔した一団に整然と並ばれても、すべてに注意を払うことはできない〉と、漫画家柴門(さいもん)ふみは著書『ぶつぞう入門』に書いている。同感である。また、宝塚と同じで顔のいいのが前に並んでいるらしい。

後ろのものは表情などよく分からないので、ここも宝塚もその真偽(しんぎ)は分からない。ただ、最前列には立て札に作者名が書かれたものがある。その中で柴門ふみが気に入った、550号をまじまじと見る。湛慶の作である。そう言われれば、一番端整(たんせい)な顔立ちをしている。

千手観音より目を引くのは二十八部衆(にじゅうはちぶしゅう)(国宝)であろう。風神(ふうじん)(国宝)、雷神(らいじん)(国宝)とともに千手観音を護っている。二十八部衆はさまざまな姿や表情をしていて魅力的である。

これこそが慶派仏師による写実的な作品なのだろう。本堂を二往復して二十八部衆の名と像高を一つひとつメモに取る。私が特に気に入ったのは二つあった。一つは大弁功徳天(だいべんくとくてん)、もう一つは迦楼羅王(かるらおう)である。

三十三間堂を出て、徒歩で大和大路通を京都国立博物館、豊国神社と見送り、予約した京麩(ふ)と湯葉の専門店へ急ぐ。

五条通に出てタクシーを拾い、最後の目的地東寺へ向かう。

東寺(とうじ)

東寺は空海の寺である。嵯峨天皇より東寺を下賜された空海は、真言密教の根本道場とし、都における布教の拠点とした。正式名は教王護国寺(きょうおうごこくじ) 。しかし地元京都の人は教王護国寺とは言わない。親しみを込めて「東寺さん」と呼んでいる。しかも、私は「とー」と「じ」にアクセントを置くが、京都弁では「とーじ」と「とー」にアクセントを置いて呼ぶ。それが何とも耳に心地よい。

  

 

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