記事差し止めどころではない、とてつもないミステリアスな話に発展し、まさに文字どおり“藪蛇(やぶへび)”の始末とは相成った。

丸の内署の一階ロビーは記者で埋まっていた。が、そのものものしさとは裏腹に君に対する質問は、身分や、遺失状況の確認など数問で打ち切り、あっけないものだった。それもそのはず。もうすでにこの時間には堂々の記事となって、夕刊第一刷の社会面をにぎやかしていたのだ。

街へ出た君は夕刊を買いあさった、まるで自分の罪状を知ろうとする犯罪者のように。

幸いにも、この記事が翌朝、某タクシー会社から遺失物保管の報の契機になった。「通例として、拾得者には遺失物価格の一割程度の礼金を置いてください」と、警察係官の一言。

放射性同位元素という特殊な物質名から想像する世間的価格はなんとなく高価という印象を持つだろうが、実験的原子炉から副産物として出てくるアイソトープP32の輸入価格は一瓶七百円である。係官のアドバイスに従えば礼金は七十円である。が、そうはゆくまい。

タクシー会社を訪れた君は世間的印象を慮って、小遣い銭から捻り出した千円を礼として置いた。千円と君の顔とを見比べながら、なんとなく物足りない不満そうであった事務方の責任者の表情はいまも記憶に新しい。

君は、後日総務庁から呼び出しを受けた。声も荒くこっぴどく叱られた。そして「今回は訓戒で済まされるが、これを機会に、放射性物質の勝手な移送に対する罰則規定の法を整備する」と。

君の結婚披露宴での上司の祝辞の中で、

「アイソトープを置き忘れて動顛しているかと思いきや、ちゃっかり特急券の払い戻しは忘れない、新郎はそういうズーズーしい面がある……」医科大学での研究生活時期は、妻、美瑛子と熱烈な恋愛時代でもあった。

この事件と時期は、君にとっては忘れられない人生ナラティブの一章である。

     

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