【前回の記事を読む】放射性物質の小瓶をタクシーに置き忘れた医大生!? アイソトープP32紛失の大事件。「仮に…それを浄水所に流し込んだとすると…」
知らぬが佛と知ってる佛
二度目の癌闘病記
学位取得後は再び元の病院に戻り、そろそろ開業でもしようかと思い始めていた。たまたま同院敷地内に、GHQ肝いりで設置された、我が国の旧態依然たる病院経営を現代的合理的経営に刷新するための、
戦略・戦術を教育する病院管理研修所があることを知り、研修対象は病院長もしくは事務長に限られているのを、開業経営にも参考になるかと無理乞いして受講生に潜り込んだ。
実はこのことが、君の次の人生の大きなターニングポイントになった。半年の研修が終わり、あとは病院で始まった一診療あたり一伝票発行制度の推進、特定診療の原価算出などを手伝ううち、その年も暮れようとしていたある日、研修所のトップから、医療職技官として厚生省入省を半ば命令的なニュアンスを帯びた要請があった。
要請とは、当時、厚生省は全国を八つのブロックに分け、各ブロックに医務局の出張所を設置していたが、膝元の関東医務出張所に医療職技官の欠員があり、その穴埋めと、当時の所長(のちに医務局長となる大物)の話し相手になってくれというものであった。
枠外の研修に潜り込ませてくれた恩もあるし、直面実行に移す目標もないので、君は諾した。
出張所は竹橋を渡った右手の奥にあった。旧近衛聯隊(れんたい)の倉庫であったらしい。いきなり科長に次ぐ上席を当てがわれた君に注がれる所内のまなざしには、この青二才に何ができるのかという、やや拒否的な臭いがあるのを君は敏感に嗅ぎ取っていた。
案の定、稟議書類は君の頭の上を素通り、声をかけてくる事務官はおらず、無言の一日を過ごした君は、臨床とは全く異なる場に、ここにはいたたまれない、臍をかまないうちにと、帰宅して辞表を書き翌日研修所のトップに差し出した。
「君! 君の人事は局長決済人事なんだよ、だから軽率にああそうですかと受け取るわけにはいかないんだ。君の気持は分かるけど、せめて一年は辛抱してくれないか」
トップの説得に加え、「貴方の将来の信用にもかかわること、一年は辛抱して!」という美瑛子の切なる願いもあって、向う一年、竹橋通いを忍従せよ、と君は自分に言い聞かせた。
ところが、この一年が、君のその後の人生の大きな変換に繋がろうとは、君自身も気が付いていない。
その一年の間に、案件に関する発稟議から決済までの流れ、会議開催の段取り、効果的な配布資料の作成、本省や所轄管内の国立病院・療養所との案件折衝・処理などなど、事務職の仕事の内容と医療行政にかかわる素地的知見を、幸い本省の医療職技官に可愛がられる中で、君は相応に身に付けたのである。君、三十歳の年である。