知らぬが佛と知ってる佛
二度目の癌闘病記
まずはベッド上で、担当PTの横田氏により関節可動域や、筋力の測定を行われている間に、君は身分を明かす。
「どちらの病院でしたか」と尋ねられたので、
「N病院でリハビリテーション部長をしていました」と君。
「エッ、N病院ですか! 三十年前、私の臨床実習はN病院でしたよー」
聞けば横田氏は、君が定年を前倒しして病院を辞したその年の臨床実習生だったようだ。すれ違って現場では会っていない。が、同窓のよしみだ。お互いに奇しきめぐり逢いだと顔を見合わせながら思い合ううちに、追憶が蘇った。
数分の間でよぎるものであるが、内容は君の人生後半の自分史に相当するといっていいほどの、長いながい追憶である。
君は、学縁を頼ってK医科大学研修科で研究を重ね、学位を取得した。
学位論文は『妊娠時燐代謝に関する研究 正常妊娠母仔間の代謝の相互関係について』で、放射性同位元素(通称アイソトープ)P32を使用し、家兎(かと)の母肝と仔肝と胎盤とについて、蛋白質と関連するRNA(核酸)のP32取り込み動態(ターンオーバー)を探求し、母仔間の蛋白代謝の関係性と特殊性とを追求したものである。
さて、追憶のはしりは、論文に纏わるアイソトープP32紛失という大事件である。