八事は、かって飯田街道と呼ばれ信州に抜けていく要地だった。街道を挟み小高い山がいくつもあり、それぞれの山に尾張藩の直臣の家老が城を設けていた。控え山と呼ばれていたそうだ。
そんな説明を受けながら僕は、沙耶伽の歴史探索につき合った。伊勝(いかつ)城、植田城、高針(たかばり)城、末森城、中根城、島田城。八事を取り巻くように築城された城跡をくまなく探索した。
城といってもせいぜい二十人ほどが収容できる、物見櫓(やぐら)のある砦ほどの大きさだったらしい。住宅地に変貌した街並みから昔の痕跡を探すのは困難を極めた。
おやじから車を借りて名古屋の近郊も回った。
名古屋周辺は古戦場の宝庫で、行く場所を選ぶのに事欠かなかった。
織田信長の三男が秀吉に追い詰められ切腹し果てた場所を探しに、知多半島を一日掛けて探索したこともあった。
「いつもごめんね。ほんとに助かってる。お礼にシチューを作ったから食べに来て」誘われて彼女の部屋に招き入れられた。
初めて足を踏み入れた沙耶伽の部屋は、六畳の和室と三畳ほどの板敷きの台所だけの間取りで、年頃の女の子が住むにはふさわしくない寒々とした空間だった。カーテンと布団とちゃぶ台と、生活に必要な最低限の日用品しか備えられていなかった。
その中で唯一新しいものと言えば、バイト代が支給された日に二人で買いに行った電気ストーブだ。木枯らしが吹き始め、肌に寒さを感じる季節が訪れていた。沙耶伽の手作り料理を食べるのは初めてだった。
シチューは骨付きの鶏肉をトマトソースで煮込んだもので、よく煮込まれた鶏肉は簡単に骨から身が剥がれ落ちた。ホクホクの大きなジャガイモが身体を温め、甘い玉ねぎが心を癒やした。
そしてその日の夜、僕らは身体を重ねた。
処女だった沙耶伽が僕に身を委ねてくれた。
台所を仕切る和風硝子に電気ストーブのオレンジ色の灯りが映る。薄い布団に包まりながら、沙耶伽は僕の胸に顔を伏せていた。
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