「そんなに困っていたんなら、ヒントくらい出してあげなさい。先生だってきっと、引っ込みがつかなくなっただけなんだから」
「でも……」
この母に反論しても、すんなりと聞き入れるわけがない。だが、どうしても言い返さずにはいられなかった。
「勉強は競争でしょ? テストで友達に答えを教えたりしないし。そんなことしてたら、みんな同じ点数になるよ。誰とも差がつかないなら……」
「勉強する意味がないって言いたいの? それは違う」
母は厳しい口調で窘(たしな)めると、茶碗と箸を乱暴に置いた。隣の子より優れていることを示したかっただけなのに、母の機嫌を損ねてしまうとは藪蛇もいいところだ。
「お父さんは勉強が得意だったから、国ちゃんもその血を引いたのね。でも、できるからって威張っちゃダメ。勉強は人と差をつけるためじゃなくて、もっと大事なことのためにやるの」
父の話が出たことに、どきりとせずにはいられなかった。母は決して父のことを語らない。国生が訊ねても曖昧な返事をするだけで、この話題だけはいつもまともに取り合ってもらえなかった。
「お母さんが言いたいことは二つ。まず一つ目は、勉強は自分が褒められるため、威張るためにするんじゃない」
「自分のためじゃないなら、誰のため?」
「それはもちろん、自分以外の人のため」
「テストでいい点を取って、いい学校に入って、自分のやりたい仕事をするのも?」
「そう、全部人のためにやるの。たくさん勉強して、高い地位を手に入れたとしても、やってることが自分のためだったら台無し。結局、寂しい人生にしかならないんだから」
腑に落ちない顔をしていると、母の声はより熱っぽくなった。
「例えば国ちゃんが困っているとき、傍にお友達が二人いたとしようか。一人はすぐに力を貸してくれて、もう一人はお菓子をくれたら手伝ってあげると言う。国ちゃんは、どっちの子が好き?」
「すぐに助けてくれる子」
「でしょう? それはお菓子を条件に出した子が、国ちゃんを助けるためじゃなく、自分の得のために行動したから。どれだけ能力を持っていても、その力を自分のためにしか使わない人は、絶対に幸せになれない。たくさん活躍したって、最後には周りに誰もいなくなっちゃう」
世界一の難問にぶち当たったような顔をしていたのだろう。母は苦笑を滲ませて、ようやく箸を握り直した。
「お金も、地位も、褒め言葉も、誰かを幸せにした後についてくるもの。だから国ちゃんも、お母さんも、みんなも、人を幸せにすることでしか幸せになれない」
【前回の記事を読む】息子にとっては突然の引っ越し。新しい家族が増えると伝えると息子は「偽者のお父さんならいらない。おじじがいるし」と言い......
次回更新は2月25日(火)、20時の予定です。
【イチオシ記事】あの人は私を磔にして喜んでいた。私もそれをされて喜んでいた。初めて体を滅茶苦茶にされたときのように、体の奥底がさっきよりも熱くなった。
【注目記事】急激に進行する病状。1時間前まで自力でベッドに移れていたのに、両腕はゴムのように手応えがなくなってしまった。