範子に駆け寄り、ポケットから楽太鼓を取り出して握らせる。彼女は手の上で黄金色に輝く小箱を一瞥しただけで、すぐ足元に置いてしまった。すかさず逆のポケットを漁り、二個目の楽太鼓を取り出してみせる。

「俺はここで食べる。お前も食べれば」

小箱を開けて中身を取り出し、慣れた手つきで包装を剝ぐと、中からつるりとした小豆色の菓子が現れた。豪快に半分ほど齧り取る。

餡の風味と求肥(ぎゅうひ)の粘っこい食感が、程よい甘味と混ざり合って口の中に広がっていく。曇天だった胸中はたちまち晴れて、ちっとも可笑しくないのに笑みがこぼれた。

隣に目を遣ると、相変わらず神妙な顔をしている範子と目が合った。長い睫毛が瞬きをする度に大きく羽ばたいて、まるでアゲハ蝶のようだ。

「いらないのか?」

彼女の手が、そろそろと楽太鼓に伸びる。丁寧に包装を剝いだ彼女は、唐突に大口を開けて菓子を頰張った。これほど甘く、滑らかで、優しい味の菓子を食べたのだ。きっと笑顔になるに違いない。

ところが範子は笑うどころか、そのうちぽろぽろと涙を流し始めた。意外な反応に言葉を失っているところへ、春の突風が吹きつける。思わず身を寄せ合ったが、春風に思ったほどの冷たさはない。むしろ、ほんのりとした温かさが心地好いくらいだ。

温もりが一向に去らないことに気づき、はっとして身を起こした。いつまでも続く優しい温かさは、春風の名残ではない。隣で縮こまっている範子の、触れ合った肩から伝わる肌の温もりだ。

「──おいしい」

ぽつりと呟いた範子は、残りの楽太鼓を少しずつ齧って、その素朴な甘味をいつまでも噛み締めていた。

国生は昼間の出来事を思い返しながら、範子に父ができるという話を改めて嘘だと思った。これまで存在しなかった父が、ある日突然目の前に現れる。この吉報を喜ばないなら、一体何を喜ぶというのだ。

母の言ったことが正しいなら、すでに範子は父ができることを知らされているはずだ。それなのに学校でも、今日の午後も、明るい兆しは少しも見られなかった。それどころか、甘い菓子を食べて涙を流す始末だ。

父の話を聞いているなら、期待にそわついているはず。美味しそうに楽太鼓を食べて、満面の笑みを浮かべるはずだ。だからどうしても国生は、範子に父ができるという話を信じることができなかった。