これまでずっと、想像上の人物でしかなかった父。その人はどんな人で、どんな幸せを連れて来てくれるのだろう。くすぐったい妄想が胸中に溢れて、今夜はなかなか寝つけそうになかった。
母はいつも通り、澄まし顔で食事を続けている。国生はその顔をさりげなく盗み見ながら、心の中で密かに感謝を叫ばずにはいられなかった。
父を迎えて三年の月日が経ち、小学五年生になった国生は、二階にある自室の窓を開けて外を眺めていた。朝の春風が流れ込んできて、淀んでいた室内が一気に新鮮さを取り戻す。
今日は月曜日だが、前日が授業参観だったので振替休日だ。昨日授業を見に来たのは、父の玲司(れいじ)ではなく、凛々しいスーツを着込んだ母だった。
普段はがさつでいい加減な母だが、念入りな化粧、夜空に輝く一番星のようなピアス、そして人前に出たときの肝の太さと熟れた身のこなしは、教室内でひときわ異彩を放ち、クラスのどの親もかすんで見えるほど垢抜けていた。
国生は母が来ると決まるまで、わざと風邪をひいて休もうと考えていた。参観日だけでなく、日常でも父は厄介者以外の何者でもない。家の中では極力顔を合わせないよう、朝は父よりも早く起きて居間や洗面所を使う時間をずらし、夜は黙って食事を済ませると、勉強をするふりをして自室に引きこもった。
それほど徹底して距離を置いているものの、特に嫌いなところがあるわけではなかった。むしろ逆で、ある日突然やって来た父には特筆すべき点が何一つなかった。ことあるごとに怒鳴り散らされるよりはいいが、空気のように振る舞い、人の顔色ばかり窺う父など気味が悪い。
上手く馴染みたい気持ちがそうさせるのかもしれないが、普通の家庭を待ち望んでいた国生にしてみれば、拍子抜けもいいところだった。
玄関の扉が開く音と、何者かが入って来る足音が聞こえた。侵入者は慌ただしく廊下を通り抜けて、奥の居間に入ったようだ。鍵のかかった玄関から易々と入ったので、父か母だとは思うが、足音がひどく乱暴だったので不審者の可能性もゼロではない。
自室を出て恐る恐る階段を下りると、居間から父の声が漏れ聞こえた。だが、話し振りが普段と違う。日頃からもの静かで、口調も人一倍穏やかな父が、粗暴な言葉を滑らかに使いこなしている。父以外の声は聞こえないので、どうやら電話で話しているらしい。
【前回の記事を読む】「それで何か買えよ」貯めていたお金を渡すも、突き返されてしまう。ひとりの近所の女の子をどうしても気にかけてしまう、その思いは…
次回更新は2月28日(金)、20時の予定です。
【イチオシ記事】あの人は私を磔にして喜んでいた。私もそれをされて喜んでいた。初めて体を滅茶苦茶にされたときのように、体の奥底がさっきよりも熱くなった。