ビデオカメラを回していた夫が、
「ごめん……」
と言って、カメラを畳んだ。
父の姿で最後に思い浮かぶのは、亡くなる二か月前、十一月頃の姿だ。町のあちらこちらで、桃色の山茶花(さざんか)が咲きこぼれる天気の良い日。
父は車椅子に座り、母と共にリハビリの迎えの車を玄関で待っていた。私はその横を通り過ぎ、安産のためのウォーキングに出かけようと靴を履いた。
父がなにかもごもごと呟く。
「?」
私が振り向くと、母が笑った。
「父さんが、里子を早く入院させろち言っちょ。父さん、赤ちゃんは時期がこんと産まれんたっど? まだ二か月もあっがね」
「……行ってきます」
父は、よどんだ目で私をじっと見ていた。私は、すたすたと外に出かけた。通りでは、桃色の山茶花がこれでもか、というくらいに咲きこぼれている。
お父さんも、あんなになっても、少しは心配してるのかな、私のこと。地面を埋め尽くす無数の花びらを見ながら、私は思った。
あの時の、私をじっと見つめていた父の姿がいまも記憶から離れない。そして、それから怒涛の日々が始まった。
父が他界して間もなくだったこともあり、毎週の法要のほか、誕生を祝いに来てくれる人たちへの対応、遅れて父のお悔やみに来る人たちへの対応で、嵐のように忙しい日々。慣れない育児にも四苦八苦。
子どもの世話の仕方で母と言い争ったり、慌ただしい日々が過ぎた。それでも、母という最大最強のサポートメンバーのおかげでかなり気楽に育児ができたのはありがたいことだ。
それから二年後、夫の転勤が決まった。母と別れることになる。私は、近所の人に「母を頼みます」とお願いした。異動先は、屋久島だった。