その後東鶴前駅に行って京都に戻ろうとしたが、やはり父親のことが気になって家に舞い戻ったと弁解している。この間駅やその周辺で彼の姿を見た証人はいない。そして戻ってみたら家が燃えている光景に遭遇したと言っている。
彼が父親の死体を見たと言っている時間から火事まで約二時間弱あった。二時間あれば人に知られない隙に車でどこかのガソリン・スタンドにガソリンを買いに行き、引き返して油をまいて火をつけるには十分だ。
神林家には二台の乗用車があった。両方ともダットサンで、一台は黒塗りの四十八年製DA型で主に仕事に使用しており、もう一台は事件のつい五カ月前に発売されたばかりのダットサンDS、色はネイヴィーブルーで私用に使われていた。焼けたのは新しい方の車だった。
私用の車のキーは亡くなった神林が管理しており、運転手は合鍵を保管して、必要に応じて運転の出来ない奥さんの為に車を出していた。息子は父親の車のキーの場所を知っていた。車は神林邸の玄関前に停めてあり、他に合鍵を持っていそうな人間は見当たらない。
お抱え運転手はその日は仕事用のもう一台の古い方のダットサンを運転しており、火事の時は現場にいなかった。これが事件の決め手になったと小林は言った。
「あなたの口振りでは彼が最初から父親殺しを計画して鶴前に帰ったと聞こえますが? 大体この事件には偶然が多すぎますね。正次の親父さんが事業の提携先の社長と問題の夜口論したというのも偶然だと? そして正次が父親に会いに家に戻ったのは偶然ではないと言う。つまり警察の論理に都合のいいことだけが偶然ではなくて、あとは全て偶然の所産とでも?」
小林はどうぞ勝手に推論してくれと言わんばかりに首を振って肩をすくめた。
掛川はなぜなのかは分からないが、小林が彼に対して警戒心を持っているという印象を受けた。それに彼は奥歯に何か挟まったようなものの言い方をした。あながち田舎訛(なま)りのせいばかりではなさそうだ。この刑事はもっと知っていることがあるが、どうやら彼には話したくない様子だ。
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