温かい湯気の向こうで穏やかに微笑む夫の顔を眺めながら、雪子は家庭を分析してみる。今の状態はベストに近い。伸親の両親は事あるごとに『子供はまだか』と尋ねてくるが、手のかかる異分子は当面、必要ない。十分に足りたものに、あえてバランスを崩すかもしれないなにかを足すなんて愚行だ。

伸親も義父母も、どうしてそんなに子供を欲しがるのだろう。生物としての本能か。人間も動物も個体としては生まれて死んだら終わり、遺伝子を残したってなんの意味もないのに。

「ねぇ、伸親さん、田所さんは見つかりそう?」

「どうかな。夕方にも訪ねてみたけどやっぱり留守でさ」

「もう一人のお巡りさんが言ってたみたいに、山で迷っちゃったのかな」

「だったら大変だけど、山に入っていくのを見たって情報は今のところないんだよ」

「心配だね」

「雪ちゃんは本当に優しいね」

瞳を伏せた雪子に、伸親が溜息混じりに呟く。その頰は初心な少年みたいに赤い。

「大丈夫だよ。俺がちゃんと見つけてあげるから」

すっと大きな手が伸びてきて、頰を撫でた。ごつごつとした働く人間の手だ。雪子は人よりずっと大きくて熱い伸親の手が、嫌いではない。

「だから心配しないで。ね?」

親にもこんなふうに髪を撫でられたことはなかった。してほしいとも思わなかったが、存外心地いい。

「本当は事件だったりする?」

          

【前回記事を読む】暴力は愉快。このクレーマーを殺す夢想は何度かしたが…今日はなんていい日なのだろう。濁った涙を浮かべる小汚い顔よ(笑)

次回更新は2月6日(木)、22時の予定です。

   

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