言いたいことだけ言うと、名乗りもせずに男は電話を切った。受話器の向こうで今頃、無能な公務員を言い負かしてやったなどと、したり顔をしているに違いない。想像すると、ちょっとぐちゃぐちゃにしてやりたくなる。
向こうでは三島が「放送が聞き取りにくいとおっしゃられましても、大きいと苦情がきますので。はい、はい……。そうですね、おっしゃるとおり緊急時には困りますよね」と、真逆の苦情を受けているらしかった。
なんでもかんでも苦情。日頃の鬱憤をより弱い立場の人間にぶつけて悦に浸る。人間などそんなものだと割り切れば、それほど腹も立たない。むしろ、絶対に言い返してこない役所に難癖をつけるくらいしかストレスを晴らす手段がないなんて可哀想だ。
雪子は澄ました顔で次の電話を取った。さきほどの中年とほぼ同じことを、甲高い声の老婆が叫んでいる。
ストレス解消なら、もっといい方法がいくらでもあるのに。
雪子は小さく口の端を持ち上げて、馬鹿みたいに晴れた窓の外に視線を向けた。
家に帰ると伸親がすでに夕食の準備を終えていた。
「いいのに、私がやるから」
「いいんだよ。非番の日くらい俺だって家事しないと。って、言ってもチャーハンとスープだけだけど」
「豆腐のサラダもある。花丸だよ」
雪子はにっこり笑った。専業主婦のくせに毎日のように味噌汁を煮つめ、焼け焦げているのに中心は半生の野菜炒めを三日に一度のペースで出していた母に比べたら、よほどちゃんとしている。
こういうのを多分、幸せというのだろう。