6 焦燥 〜喜美子〜

美結と心が通っていたはずだったが、どの段階から心が通ったと断定できるのか、「心が通う」とはどのような状態を指し示していたのか、意味が崩壊してしまい、喜美子には、もう誰とも、共感とか、共鳴とか、心の働きによって奇跡的に成り立っている事柄を共有できないのではないかという不安感が募ってきた。

条件ありきで相手に尽くす。それは、相手が生身の人間であり、互いに人生が交差すると疑わないためだ。そして相手が生身であるからこそ、自分自身も評価される。失敗すれば、相手は落胆する。

喜美子の内なる〈少女性〉が現実化し、目の前にある。自分が歳を重ねるごとに遠退いていく存在。蔑(さげす)みは「大人」である自分自身に対してであり、〈少女〉を羨ましく思った。相反する感情を飼い慣らすことは不可能だった。自分とは異なる人種である美結が持つ、密かな反発心は「大人」に対して抱かれていた。

推しの「卒業」はあまりに唐突だった。ネットの某掲示板やSNSで瞬く間に拡散したその写真には、ラブホテルから出てくる推しと女の姿が写っていた。真実がなんであれ、彼が「男」になったのは紛れもないことだった。

アイドルにはもちろん「寿命」があり、いつまでも、現実と非現実の狭間(はざま)を行き来しているわけではない。いずれは、「肉」の世界に還っていく。世界の上澄みは蒸発し、彼らは息ができなくなる。全員ではないだろうが、大半は人生のスタンダードコースを辿る。

恋愛禁止ルールから解かれ、誰かと付き合う。ファンのうちの一人か、あるいは、俳優になって共演した女優とくっ付く。結局、男と女の関係ができあがる。

喜美子は、愕然とした。「◯◯ロス」よりもタチが悪い。そのゴシップを目にした日の夜は一睡もできず、翌日の業務にはあからさまに支障が出た。会議中の重役の発言が、蕎麦を啜る音に聞こえた。汚らわしい。想像が胃を掻き乱す。喜美子は離席し、腰を屈めながら足を引きずりトイレへ向かった。眼前には便器の丸い穴がある。底なしの暗闇だ。喜美子は延々と吐き続けた。