バースデーソングは歌えない。
4 幻想 〜美結〜
アイドルたちがまぶしい光の中で、笑顔を、〈希望〉を振り撒くワンシーンが再生された。大人に毒される前の少年・少女たちが舞台に現れる。神秘に包まれた会場で、自分自身も〈少女〉に回帰するのだ。この破滅的な世界で、〈希望〉には、いつまでも〈希望〉でいてほしかった。
「推し」は、対岸の存在……? こちらがいくら好意を向けても、相手は「私」を認知しない。私の「推し」は、私を他の「私たち」から分離しない、私は評価されない。透明なまま「推し」を、ステージで舞う彼らを、いくら見つめていても、彼らと目が合うことはない。好きなものを好きなだけ見ていられる。いくらだって好きでいられる。
「推し」に貢ぐ方法は、彼らのコンテンツに大枚叩いて人気を上げることだ。人気になればなるだけ、メディア露出は増え、コンテンツも増えていく。そして、彼らの「生活」も潤うのであれば素晴らしいではないか ……とは言っても、彼らの「生活」とは実生活ではなく創造の産物で、それはただの空想に過ぎない。
どんな私生活をしているのかまで夢を見させてほしい、というのは傲慢だろうか。本当のプライベートまでには干渉しないし、できないのは理解しているが、プライベートを見せないことも、アイドルの責務の一つなのではないか。網膜に象を結ぶのは一種のキャラクターである。それも、穢れなきキャラクター、そこに〈少年性〉を見る。
下腹部が疼(うず)くのを感じた。
隣で寝息を立てる〈少女〉を抱きしめたい。美結が「アイドル」のステージに立っていたら喜美子は間違いなく推していた。そんな「希望」の存在と双方向に触れ合える奇跡。ずっと近くにいてほしい。可愛い、可愛い、愛おしい。「私」が、彼女の「幸せ」になってほしい。
これは恋愛感情―いや、彼女の体を直接求めているのではなかった。あくまでも彼女の〈少女性〉に対して、焦がれている。しかし彼女が、「男」だったら……? やはり自分は、彼女が「女性」だから、ことさら〈少女〉だから惹かれている……? 精神的な融合を求めているのだろうか。喜美子にはわからなかった。喜美子の内に眠る〈少女性〉が共鳴しているのかもしれない。
彼女に対する独占欲は肥大化している。神秘な存在である〈少女〉―美結を見ていたのではなく、美結を媒体に〈少女性〉を消費していただけだったのか? ああ、うるさい、うるさい。今までになかった関係性に心奪われて何が悪い。