第一章 全てを赦(ゆる)す色
銀杏(いちょう)が黄色くなる季節
青いガラスを作るためには、ガラスに色素を添加する必要があり、一般的にはコバルト酸化物を用いることが多い。まず、原材料となるシリカ、苛性ソーダ、石灰などを混ぜてガラスを溶かし、溶融させたガラスに、少量のコバルト酸化物を加える。
ガラスに色素を混ぜた後、再び溶かし直し溶融させたガラスを流し込んで、冷やして硬化させるのだが、なかなか思うような色にはならなかった。しかもそればかり研究できないので、青のガラスを作るというのは紫衣の長期的な夢でもあった。
でも紫衣の夢に、足立区にあるガラス工房の佐久間さんは根気よく付き合ってくれた。紫衣は休みの日に何回も出向き、青のガラス作りをしたが、なかなか思うような色にはならなかった。
「どうするかい? うちでそのガラスを使ってもいいよ」
「佐久間さん、ありがとうございます、お願いしたのは私なのでこのガラスは私が買います」といつも深々と頭を下げてガラスを持ち帰るのだった。
*
日本はバブルで浮き立ち、会社も資金が潤沢で、紫衣の仕事も海外への出張が多かった。久史が亡くなり、二年が経った時にドイツへの出張があった。
クリスマスシーズンにローテンブルクというクリスマスの街に行き、本場のクリスマスの「色」を見てくるというものだった。
ヨーロッパにはあるけど日本にはない、クリスマスカラーを模索するのだ。本場のクリスマスの時期の照明や飾りつけは日本ほどきらびやかではないがとても落ち着く温かいものだった。
フランクフルトで現地のガラスメーカーとミーティングをしたり、工場見学をしたり、紫衣は時差ぼけする間もない程忙しく動いていた。
一日自由になる時間が出来たのでフランクフルトから近いマインツという所へ出かけたのだが、降りる駅を間違えてしまった。マインツ中央駅に行くはずだったが、マインツカステル駅で降りたのだ。