異変には気が付いていた。エラー信号が体のいたるところから発信されていた。このままでは、仕事中心の日々に終わりは来ない。ブラックホール。ゴールを定めなければ終わりがないのだ。いくらだって仕事に熱中できると勘違いしていた。仮にゴールがあるとすれば、それは、体が降伏したときに他ならないだろう。

そこまでして頑張る理由を、他者の存在に結びつけたかった。解けないほどきつく美結の「幸福」に。

「肩凝ってる?」

「この後ろあたりがバキバキだよ。揉んでくれるの」

「うん」

少女の小さな手が筋肉をほぐしていく。誰かの手が自分の肌に触れるのを許すのは奇跡だ。三十で咲かせた高嶺の花も枯れてしまい、これからは「期限切れ」の女として酒の席で扱われるのだろう。それはそれで別種の不安感を煽(あお)った。資本的な価値が失われていく。仕事が与えられなくなったら、いよいよ自分の存在意義が消えてしまう。

だが、少女の手は、自分が、男性中心主義・資本主義の外でも存在できると思わせてくれる。資本主義を体現した室内で、非物質的な領域を復活させてくれる。

もっと美結に近づきたかった。もっと。もっと。もっと。もっと。

いつか物質的に恵まれた刺激ある毎日にもすっかり順応し、乾いた笑顔を見せなくなり、浮き沈みのない単調な日々へと落ち着いてしまい、喜美子に対して向けていた眩(まばゆ)く潤った美結のまなざしが過去のものになるのを恐れた。

その原因を先に突き止め、少女の全方向の自由さが失われるのを喜美子は食い止めたかった。喜美子は、現実と空想の境目をふらついていた。美結の欲しい物リストがなくなった後、自分は何を与えられるのだろうか。

かつての疲れ切った喜美子は、休日もベッドで横になっているのが大半で、動画サイトやSNS等、オンラインコンテンツの閲覧で時間を消費していた。そして偶然か必然か、おすすめに表示された一人の男性アイドルが、その後の喜美子の人生の一部となる。

      

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次回更新は1月31日(金)、18時の予定です。

 

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