蓋開
翌日、職場に行っても雪子はダイヤのことばかり考えていた。おかげでミスをした。田所が来ているのに、窓口に立ってしまったのだ。
生憎、三島は休みだった。ほかの職員は嵐の草原に放り出されたキリンみたいに、首を竦めている。
「いらっしゃいませ。今日はどのようなご用件でしょうか」
仕方なく雪子は田所の前に座った。田所は憮然とした顔で「ハチだ」と言った。
「ハチですか?」
「ああ、ハチの巣が家の軒下にできて困ってる。スズメバチの巣だ」
「でしたら、環境係のほうでハチの巣駆除用の防護服をお貸ししています」
「お前はそんな危険なことを、市民にやれって言うのか」
「はぁ」
「いいか、家にできたのはオオスズメバチの巣だ。スズメバチの中でも特に凶悪な奴で、刺されたら死ぬんだぞ」
田所が言いながらカウンターに大量の写真を並べていく。
軒先にぶら下がった小ぶりなくす玉に、毒々しいオレンジと黒の縞をした昆虫が群がっている。見たところ巣のサイズは直径三十センチ、よくもまぁこんなに大きくなるまで放っておいたものだ。飛んでいるスズメバチのアップの写真まである。防護服を着たハチ駆除より、よほど危険なことをしているではないかと呆れてしまう。
並べた写真を見ていたら興奮してきたのか、田所はハチの脅威論を延々と説き始めた。そんな危険なハチを他人に駆除させようという図々しさには、どうやら思い至らないらしい。
「もし俺が刺されたら、どう責任取るんだ」
「では業者に頼まれてはいかがでしょう」
職員なら刺されてもいいのか。
とっさに反論が浮かんだが、雪子はきちんと呑み込んだ。正論を呑み込み、市民の理不尽なクレームを黙って聞き続けるのが市役所職員の仕事だ。