第二章 シルバー留学
凄まじい鉄道
明日、二〇一一年五月二十三日の十時にインドネシア大学BIPA(外国人向けインドネシア語コース)の事務所とアポイントを取っている。まだ土地勘がなく、どのくらい時間がかかるか全く見当がつかなかったので、下見を兼ねてインドネシア大学まで行くことにした。
ジャカルタ近郊通勤鉄道のゴンダンディア駅に片側三扉の通勤型の電車が入線した。乗車すると、発車ベルも放送もなく、突然、扉が開いたまま走り出した。スピードが上がり、左右に揺れるにもかかわらず、両側の大きな扉は開いたままである。
風が入ってきて涼しいが、大きく揺れたり急ブレーキをかけたりすれば、列車から転落するのではないかと怖くなり、人をかき分け奥に入ると、暗く汗臭い。
しばらくするとおばさんが揚げスナックを売りにきた。次に若い女の子がカラオケの機械を担いで大音量で歌い、乗客にお金を乞うている。混雑して息苦しい車内に次から次へと食べ物やおもちゃなどの物売りや物乞いがやってきて、私は次第に気が滅入ってきた。
電車は車内放送も駅名表示もないので、今どこを走っているのかわからない。周りの人に英語で話しかけてもだれも答えてくれない。これは参ったと思っていると、英語で話しかけてきた若い女性がいた。
インドネシア大学の学生だそうだ。彼女はインドネシア大学駅の一つ先にあるポンドック・チナという駅で降りるので、インドネシア大学駅に着いたら教えてくれるという。
たまたま英語のわかる親切な人がいたので助かったが、当初考えていたジャカルタに住んで、毎日デポックまで通学するというのは無理だと思った。降りた電車を振り返ると電車の屋根の上に子供たちが乗っている。
大学にはゲートがなく、歩いているといつの間にか構内に入っている。留学エージェントより送られてきた地図を横にしたり縦にしたりしながら、十分ほど歩いてBIPAの事務所を確認した。
帰りは同じように、インドネシア大学駅の窓口で終点のジャカルタ・コタ駅までのチケットを買って、ホームで列車を待った。来た電車に乗ろうとしたところ、行き先表示が「菊名」となっている。
東横線で使っていた中古の車両のようであるが、走り出すとドアが自動的に閉まり、冷房も効いている。窓の紫外線除けフィルムの色が濃いため車内は暗いものの、物乞いや物売りも来ない。往きの列車よりずいぶん快適で、急行なのかいくつか駅を通過している。
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