生徒の中には馬鹿キャラになって珍解答で笑いを取ったり、「俺馬鹿だからよくわかんねぇ」と堂々と言って、先生からは「わかったふりをせず、わからないと言えるのは良いことです」なんて褒められたりする姿を見ることもあり、晃は少し羨ましく思った。
実際、晃は学校では「わからない」とちゃんと言える〈そちら側〉の人間だ。それが塾では言えないことに居心地の悪さを感じていた。
親や先生たちはよく言う。
「できなくてもいい。努力することに意味があるんだから」
「わからないことは恥ずかしいことじゃない。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」
それが言えない〈こちら側〉に立ってみて改めて気づいた。明るく何でも言える生徒は愛嬌があって、先生に可愛がられる。みんなの前で問題が解けなくても暗くなったり、いじけたりしない。そういう生徒は、先生から見ても安定していて、安心して関われるんじゃないかな。
本当の自分はこんなんじゃないのに、いや待てよ、これが本当の自分なのか?
よくわからなくなる。そのことで自分の人格が少しずつ変わっていくような気がした。塾では健斗や悟にも気が引けてしまうし、またそのことを健斗も悟も感じているに違いない。同じ晃なのに、学校の晃と塾の晃は違う。それはなんだかとっても不本意だった。
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