「ぼくは知りたいのです。ぼくは一体誰なのか。ぼくは一体どこからやって来たのか。そしてぼくは一体どこへ行こうとしているのか。知りたいのです。それを教えてくれる人に会いたいのです。そんな人がこの国におられるかどうか、まず知りたいのです」
奇妙なことだったが、そういう質問、そういう疑問だけがぼくの心、ぼくの体のような気がした。今初めて心中から突き出されて来た鉄の棒のような疑問だけが、ぼくという存在のような気がした。
「ああ、そのこと。この国へたどり着いた多くの人が、今おっしゃったようなことを、まったく同じ言葉ではありませんが、尋ねて参りました。どうしてでしょうか。この国にはそういう問いを問わしめる不思議な哲学の風のようなものが吹いているのでしょうか。不思議ですね」
そう言って、セイレイ嬢はふと黙ってしまった。
「そのことなら、花園の中を飛んでいる蝶に聞いてみたらいいと思います。あるいは、今の今溢れ輝いています太陽の光に聞いてみたらいいと思います。この国には、「蝶に聞け」という言葉と「光に聞け」という言葉があります。
大事な質問に対しては、すぐに答えを出さないで、そう答える習慣があるのです。ですから、ここの花園に飛んでいる蝶に聞いてみてください。何日も何日も黙って蝶を追い掛け、蝶に聞いてみてください。
でも、そう言っただけでは、この国に初めて来られた方々には対応の仕様がないでしょうね。そうです。質問に答えてくださる人たちはこの国に大勢おられます。もしよろしかったらその人たちのところへも、もちろん、ご案内いたしましょう」
ぼくにはセイレイ嬢の言葉が眩しくきらきらと輝いて迫ってくるように感じられた。
「哲学の風が吹いている」とか「蝶に聞け」とか「光に聞け」とか、そういう言葉が実に鮮やかに聞こえたのである。
特に「蝶に聞け」という言葉を聞いて、ぼくは体が軽くなり、ふわっと浮き上がるような感じがした。蝶に聞くことだ。今、この花園に飛ぶ蝶の無言に耳を傾け、その物言わぬ言葉を聞き取ることだ。それが分かってくるまで、一緒に生きることだ。そんな気がしたのである。
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本連載は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。
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