スマホの画面が点灯し、可愛いウサギのスタンプが送られてくると、喜美子は安堵を覚えた。そして週末のルーティンに戻る。土日は、月曜日のためにある。週明けのスケジュールを確認し、タスクの優先順位を見直し、返信できるメールの文書を作成して送信予約をしておく、などなど、やるべきことはたくさんある。
月曜日から金曜日までの平日は、会社に「上納」する契約になっているのだから反故(ほご)にはできない。それが“キャリアウーマン”というやつだ。って、何がウーマンだ。ふざけたネーミングしやがって。まるで女は、キャリアが特別みたいじゃないか。と不平を述べたところで、会社の人間は、喜美子をそのカタカナ語で認識し続けるのだろう。
朝八時に出社し、ほぼ毎日残業をし、くたびれて帰宅する。数時間のプライベートと睡眠だけではもう体力は回復せず、不足分がいったいどこから補充されているのか不明のまま放置していた。半年前からずっと風邪の症状が続いており、薬を服用しても全く効果がなかった。
喜美子の仕事は極めて専門的であり、分業できる相手はいない。全てを一人で抱え込み、兎にも角にも忙しかった。待遇は十分すぎるほどだったが、それでもなお多忙の代償は大きく、得るものと失うもの、両者には相殺(そうさい)できないほどの差があった。
精神はくたくたでも、スーツと顔の皺は消した。周囲からの評価に怯えながらも、自分は「美人」であるという評価の中でしか生きていけないんだという他者の視線が長年にわたって刷り込まれていた。
“キャリアウーマン”という呼称はまだまだ現役で、三十路になれば、たいていの女は結婚しているのが常であると言わんばかり、“普通から外れた人種”として見限られている感がある。「幸せな家族像」からは対極の職務経歴―果たして哀れみから生まれた言葉なのか、それともクィア的精神から生まれた言葉なのか。
名は体を表す。黒髪のセミロング、ボストンタイプのメガネ、170近い身長、スカートよりもパンツタイプがよく似合う。性格を一言で表せば「真面目」であるが、「クソ真面目」ではない。ある種の柔軟さを持っており、相手の性格に応じて会話の流れを変形させる。冗談を冗談として見極め、セクハラまがいの言動に対しても受け流す術を身に付けていた。
《駅着いた!》
喜美子の胸中にじんわりと、日向(ひなた)で感じる温かさが広がった。これが「嬉しい」という感情であった。たった五分がもどかしかった。わざわざ、私に会うために時間を割いて来てくれるのだ。仕事だからではなく、ただ私に会いに来てくれる。
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次回更新は1月21日(火)、18時の予定です。
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