社長には山ほど義理がありますし、支配人さんもそれはご存知ですやんか。両親と妹も気がかりです。今は難儀なことになってますけど、どないかしますわ。これ以上しんどい目にはあわさんとってください。店で私の力になったってください!

セールスマンは嫌われるもんです、そら分かってます。大金稼いで優雅な暮らしや思われてますよってね。特段のキッカケもないからこんな先入観をじっくり考え直してももらえんし。せやけどですね、支配人さんは他の連中よりも状況がよう見えてはるんですよ、それどころかここだけの話、社長よりもね。社長は企業家のさがで判断をゆがめがちですよって。

セールスマンは年がら年中店を出とるせいで陰口とか不意のトラブルとか身に覚えのない文句の犠牲になりがちなことも支配人さんはようお分かりです。かと言うて自衛は無理です。自分の耳にはまず入ってきませんし、出張を終えてバタンキューで家に帰ってやっとこさ、原因も分からん悪い結果がわが身に起きてんのに気ぃつくくらいですから。

後生です支配人さん、行かはる前になんぞ一言、私の言うこともちょっとは筋が通ってると思えるようなことを言うたってください!」

せやけど支配人はグレゴールが最初の一言を言うか言わんかのうちに背を向けてしもうて、ガタガタ震える肩越しに唇とんがらしてグレゴールの方を見ただけ。

グレゴールが話しとる間ひとときもじっとしとらん。グレゴールから目を離すこともできんとドアに向かって少しずつ、部屋を離れることなかれと内密に命令されとるみたいにほんまに少しずつトンズラしようとしとった。

もう玄関ホールにまで来とった支配人が急に動いて最後の一足を居間から引っこ抜いたところは、はた目にはその瞬間足の裏を焼かれでもしたみたいに見えたやろう。玄関ホールで右手を階段に向けて伸ばした姿は、まさしく天の助けを待つが如し。

支配人をこないな心理状態で行かせることは何としてもあってはならんとグレゴールは分かっとった。この一件が店での立場を危うくすんのをどうしても避けたいなら。

両親はそこらへんがあんじょう分かっとらん。

【前回の記事を読む】グレゴールはじりじりとドアに近づき──歯というもんはないらしく…そんなんでどうやって鍵をくわえたらええのやら?

次回更新は1月13日(月)、12時の予定です。

 

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