元々二人にとって抱いている別荘の姿など全く無かった。工務店との会話の中で「太い柱で質実剛健な家がいいなあ」と話していた夫。これが材木商で育っていた息子の言葉。

私はぼんやりと夫の希望を聞いていた。しかしのんびりとしたこの姿勢は序章に過ぎなかった。私はどのような希望を伝えたのか定かではないが、整理のつかないまま脳裏によぎったこと。

「建ち上がった家の前を、そそくさと横目で見つつ通り過ぎてしまうような家にはしないで欲しい。自分の建てたあの家を、又しみじみと見に行きたい」

たまらなく愛したい家。しかし構想は漠然としていた。今にして振り返れば素人のこの私の言葉は千金の値があったようである。

後年に至って私達は工務店にとっても忘れることの出来ない施主となっていった。この段階で両者のモードは確固たるものとなりテープは切って落とされた。

別荘の完成を見て

一枚の方眼用紙を前に心の中で描いた姿を型にしていくことは素人の私にとって大変楽しいことで有った。冬をはさんで一年半程で完成を見たその家はシンプルにして質実剛健。抱いていることが形になった㐂び、後年どなたの設計ですかと尋ねられる程の出来ばえであった。

完成したこの家は百年の家とまでいわれた。空間は夢をはるかに超えていた。この家はきっと愛せる、と直感した。夫と私の勝利であった。

別荘としての住まいに組み込まれた三階建ての高さにも負けない吹き抜け天井の広い空間。明確な用途や、利用目的等全く念頭には無かった。都会では味わえない広い空間で暖炉を囲み、非日常の時間を過ごしたい小さな夢。それは想像をはるかに超えるものであった。