【前回記事を読む】「百年の家」とまでいわれた標高1200メートルの高原に建てた別荘を「ピンポンハウス」にしようとする夫

別荘の完成を見て

夫の主張しているプレイルーム構想も避暑地では意外な展開に至っていくかも知れない等という助言にも私は耳を傾けてはいなかった。しかしどのように使いこなすのか素人の女の上に降りかかった事柄の打開策など考えられなかった。

プロデューサーもいなければ、ディレクターもいない。これは単なる無知な女の背伸びにも見える。心の中の大きな変化を責めても良い結果には至らない。冷静になろう。何もかも思い通りに事柄が運ぶことは難しいことと己を慰める。

私が思っている事柄こそ、根拠の無い唐突なことかも知れないと弱腰になる。別荘が建ち上がった安堵感。忙しかった日々を離れ、遠のいてしまっていた東京での普通の日々を送ろう。何かの発見に至るかも知れない。きっと予測も出来ないような事柄がどこかに潜んでいる。

このままの熱く闘争的な二人の関係を続けていては、この先の将来に向かって決して良い結果には至らない。宙に浮いてしまっている高原の別荘の異なった将来像が私の頭の中に居座り続けている。

東京で過ごす普通の日々。当時は華やかにデパートのアートサロンルームで染や織などの新進作家のエキジビションに人々は新しい刺激を求めて群がっていた。以前にはゆったりと作品を鑑賞してトップランナーに憬れを抱いて見ていた女。

しかし全く異なった視点で注視している私に気付いていた。こんなにも身近に私の求めている世界が微笑んでいる。焦らずにゆったりとした日々を送っていたらきっと何か心動かされる出会いがある筈と、穏やかに思ってからわずか三日後の出来事である。

突然の閃(ひらめ)きが降臨。企画展なるものに気付く。

社会の常識にうとい無鉄砲な女は、案の定、又もや厚い壁に阻まれる。高原の避暑地であるとはいえ、出来たばかりの無名のスペース。手順も踏まずに、紹介者もおらず、ポリシーも定まっていない空間に二ヵ月後に企画展を掛けて頂けないかというオファーに、現在飛ぶ鳥を落とす勢いのある新進作家が快諾する筈はなかった。

その交渉の渦中の私の

「もう辛くて心臓が飛び出して死にそう」

という言葉に夫は私の心の中を知るよしもなく、

「だからピンポンハウスでいいじゃないか」と。辛い言葉が返ってくる。