其の参

[二]

翌日も朝から上天気だった。蝉の声が今を盛りと辺りを包んでいた。骸骨は小屋から出ると、また海の見渡せる松の根元に腰かけた。すでに陽は高く、遠くの岬は暑気で膨張した空気に霞んでいた。だが松の木陰は涼しかった。時々海から風が渡ってきて、心地よい潮の匂いを運んできた。

骸骨は昨日のことを考えていた。結局山狩りみたいなことは何も起きなかった。目の悪い少女とその姉に出会ったことがまるで夢寐の出来事だったみたいに。それが心外というか少しばかり予想外れのような気がしていた。

どうして昨夜のうちに去らなかったのか自分でも判らなかった。何故今になってもここにいるのかが解らなかった。いや何を待っているのだろう、何かを期待しているとでもいうのだろうか。

時々ちらと小径の方を振り返るのだが、そこには小鳥が降りてちょこまかと地面を啄いているだけだった。やはりあれは夢の中の出来事だったのではなかろうか。この姿を見た人は皆逃げ出した。今ではその方が自然なのだと思っている。

姉はきっと自分の正体を知らせただろう。そうなればここに来る訳がないのだ。だがそう考えながらも、また骸骨は小径を振り返ったり、手のひらの小さなウサギの縫ぐるみを見つめたりしていたのである。

あの時、白い杖を渡す時触れた温かくてやさしい手、その小振りな感触は確かなものだった。初めて触れた人の手だった。東京でそして信州であれ程多くの人々を目にしたというのに、それは蜃気楼みたいなものだった。この日本海の片田舎に来て初めて、本当に人と触れ合ったような気がしていた。

何よりももう一度あの少女に会ってみたかった。もう一度あの曲を聴かせて欲しかった。はっきり見た訳ではなかったが、多分あの少女だったと思う。でもそうだったとしたら、どうして夜になってここに来たのだろう。近所に住んでいるのだろうか、姉は何も言わなかったのだろうか。だとすると何故黙っているのだろうか。全く判らないことだらけだった。

 

長い一日が過ぎていった。気がつくと陽はとっぷりと暮れ、帰りを急ぐカラスの群れが啼きながら頭上を飛び去っていった。少女が現れたのは辺りが薄暗くなってからのことだった。

小屋へ戻ろうと立ち上がった時、ふと背後でガサゴソと音がして白い杖が薄闇の中に浮かび上がった。骸骨は道端に寄って彼女をやり過ごした。何も知らない少女はそのまま通り過ぎ、社殿の渡り廊下に腰を降ろした。そして小脇に抱えた黄金色の縦笛を持ち替えた。

初めはフーッ、スーッと息を吹きこむ音がして、その後同じような音階を往ったり来たりしていた。やがてあの曲が始まった。心持ち伏し目がちの表情と白く泳ぐような指の動き、曲に合せてゆったりと揺らす半身、それが印象的だった。

美しい姿、美しい調べだった。澄んだ音色だった。辺りの空気を貫くような高音と宙を舞う中低音、管が夕映えの残照を受けてキラッ、キラッと輝いている。骸骨は固唾を飲んで聴き惚れていた。だが不意に曲が止んだ。少女が静かに微笑んでいた。

「また‥‥あなたなのね、雰囲気でわかるわ。昨日はありがとう」

何となく焦点の合わぬ目がこちらを見ていた。