第一章 天界で奪われた三種の神器
その戦いは互いの軍勢を巻き込み長く続いた。その果てが見えぬようであった。天部の地平は戦渦に巻き込まれ、業火に焼かれた。ありとあらゆる生物が逃げ惑った。住処を奪われた神々はある山の頂に退避し、ときが経るのを待った。
どれほどのときが過ぎただろうか。ある日、帝釈天と阿修羅王の戦いによって引き起こされていた暴風がぴたりとやみ、辺りが静寂に包まれた。神々は顔を見合わせ、帝釈天と阿修羅王のようすをたしかめるために山を下った。
弁財天は十五童子を引き連れて麓(ふもと)を目指した。屈強な神々に囲まれていたため、恐怖心は感じなかった。嵐によって押し倒された木々の合間を縫うように歩き、喉が渇けば湧水を飲んで休み、そしてまた歩き出した。
牛車に乗らず徒歩(かち)で移動することはめずらしいが、十五童子と苦難を分かち合うことで、より結束を強めていった。
麓に降り立った神々は、帝釈天と阿修羅王を探した。焼け野原には、傷つき倒れた阿修羅王の軍勢が点在していた。
ようやく見つけた帝釈天は、地を舐める阿修羅王を見下ろすような恰好で立ち、その後ろには帝釈天の配下が整列していた。話を聞かずとも、勝負の結果は一目瞭然であった。
よくよく見ると、帝釈天と阿修羅王は深い眠りに落ちていた。双方の配下の軍勢も同様であった。天部で生きる神々は死苦こそあれど、その寿命は五百年とも千年ともいわれており、御神体の回復力は人間とは比べものにならない。
眠りによってからだの傷を癒し、十分に回復したところで目覚めるはずだった。
神々は、帝釈天と阿修羅王が目覚めるのを待った。
その間、従者たちは薙ぎ倒された木々を片付け、荒れ果てた地を整えた。そうこうしているうちに、木々が生い茂り、草花が芽吹き、河川湖沼の濁りがとれ、底まで見えるほどに澄みきった水をたたえるようになった。あまりの戦いの激しさに怯え、地上に逃げた動物たちも戻ってきた。
先に目覚めたのは帝釈天だった。帝釈天は足元で倒れている阿修羅王のそばにどっかりと腰をおろした。
「一歩間違えれば、我らが敗れていたかもしれぬ」帝釈天は話を続けた。
「一時は、阿修羅王の軍勢に押され、もはやこれまでかと観念したのじゃ。意を決して退却しようとしたところ、その途中に蟻の大群がおってのう。どうやら逃げ遅れた蟻たちのようで、慌ててどこかへ向かおうとしているようじゃった。
この蟻たちを踏み潰さなければ退却することはできぬが、踏み潰して退却しては無駄な殺生になる。そうして立ち止まったところ、阿修羅王のやつめ、我らに企みがあるのではないかと疑い始め、その疑念が焦りとなり、やつの軍勢全体に広がりおった。
その隙を突いた我らの攻勢によって、かろうじて阿修羅王を破ることができたのじゃ」
帝釈天は一息に話すと、大きく息をついた。そうして阿修羅王をやさしい眼差しで見つめた。蟻にも情けをかける慈悲深い帝釈天と、自らの正義に固執する阿修羅王の差が、そのまま勝敗を分けるかたちとなった。