これに先立つこと八月に水戸城の江戸重通に対して使者を送り、この度の仕置きで江戸氏の身分は佐竹預かりの家臣であると認定されたことから水戸城の無血開城を迫った。しかし重通は一顧だにせず、その申し入れを拒否したのだ。
ここは本家として放っては置けないが義重は上洛中である。義久と相談の上、義重の帰国を待ち、それまでは今まで通りに付き合って油断させておいた方が得策であるということになった。府中の大掾清幹に対しても服従を迫ったが、のらりくらりと話をはぐらかして服従する様子を見せていない。
義宣としては義重の帰国を待ちに待っていたのだ。
翌日、館の広間に六人が車座に座り水戸城攻撃の軍議が極秘のもと行われた。
「御屋形から考えを申せ」
義重が口火を切った。
「はっ、では。儂は今年中に水戸、府中を攻略すべきだと思う。ただ、儂と中務は関白様へのお礼言上と官位受領のため、十一月半ば頃には上洛せねばならぬ。それ故、戦に加わるわけにはゆかぬ。そこで……」
と義宣は六人の真ん中に絵図を広げ扇の要で絵図を指し示しながら説明した。
「そこでだ。隊を本隊と別働隊の二手に分け本隊は真崎兵庫と和田安房に任せ二千余で河合から久慈川を渡河し菅谷、後台、青柳で那珂川を渡り、神生平を抜けて水戸城西側から攻め込む。
別働隊の父上には補佐として小貫佐渡の一千余を率いて戴き、岡田から茂宮、留辺りで久慈川を渡り村松、足崎、中根、勝倉の海沿いを通り枝川辺りで那珂川を渡河、水戸城の東側より迫って戴きます。ここまでで何かご不明の所あればお伺い申す」そこで義久が尋ねた。
「久慈川の渡河は地元故、舟を集めるのは容易(たやす)いが那珂川を渡るのは如何致そうか?」
「それは那珂川上流の小場、石塚、大山らにありったけの川舟を回漕させて青柳と枝川辺りに舫(もや)って置くことにしようと思うが如何であろうか」
「なるほど、それは良い。近くの縄曳き舟の衆を手懐(てなず)けておくことにしよう」
という義久の言葉で落着した。