あるお爺さんの1日 〜猫と共に〜

お爺さんは昨日見た塀の上の年取った猫のことが気になりました。今日、もう1度姿を見たいと思い出掛けていきました。塀の上にはいないだろう。塀に隙間があり庭を覗き込めれば、花の間で寝ている姿を見ることができるかもしれない。お爺さんは足を進めました。猫はいました。

塀の下に高さ50cmくらいの花壇があり、そこで寝そべっていました。目と目を見合わせると、猫は「ニャン」と短く鳴きました。お爺さんが「こんにちは」と声を掛けると、今度は「ニャーン」と大きな声で鳴きました。お爺さんには猫が、「お待ちしていました。お話をしたいと思っていました」と言ったように聞こえました。

死期の迫った猫には人間との会話ができる能力が備わるのでしょうか。

お爺さんは「体の具合はどうですか」と訊ねました。

猫は「毎日毎日、腎臓の働きが低下し、体がだるく、食べ物は喉を通らず、水も飲めません。自分の体を食い潰して生きています。逞しかった体は骨と皮になり、丸く可愛らしかった目は落ちくぼんで昔の面影もありません」と言います。

お爺さんは、猫の姿を見ただけで猫の病状が分っています。何もできないもどかしさを感じながら、自分も腎機能が悪く塩分制限をしており、高齢者の宿命とあきらめています。

猫は続けました。「猫の社会にも人間と同じように介護施設のあることをご存じですか。猫は死を恐れません。施設では人間に死ぬところを見られないようにすること、静かで暖かい快適な場所を提供すること、死ぬまで水は絶やさないこと。これだけです。点滴や、胃ろうや、おしめはしません。

枕元で看取ってくれる猫もいません。まれに、子猫が死んだ時、親猫が看取ったことはあります」

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