命運

弥十郎は構えを上段に素早く戻すと横殴りに剣を振るった。その時である。猛之進の猛打するように打ち下ろした刀身が弥十郎の刀の棟を叩いたのだが、鍔元二、三寸のところからまるで飴細工ようにぽきりと折れたのである。

弥十郎は一瞬あっと声を上げたが、直ぐに後ろに飛び下がると脇差(わきざし)を引き抜いた。それから気息を整えるように長い息を吐くと再び猛之進と対峙した。弥十郎はどことなく先ほどよりも落ち着いたように見えた。

それをみて猛之進は直ぐに思い出していた。弥十郎の家は祖父が鳳鳴流小太刀の遣い手である。猛之進の妻瑞江も小太刀を能(よ)く遣う。当然のようにそれは瑞江の兄、弥十郎にも言えることであった。鳳鳴流小太刀、何するものぞと気負い立ったが迂闊には踏み込めなかった。

瑞江がまだ十二歳くらいの頃のことだったが、兄の弥十郎と一緒に道場に顔を出したことがあったのだ。猛之進と弥十郎が竹刀で立ち合うのを道場の片隅で見ていた瑞江は、突然、――兄様っ、横面!――と大きな声を出したのだ。 

猛之進は今にも弥十郎の面を打とうとしていたところを、その声によって気勢を削がれ剣尖(けんせん)が逸れたのである。そのおかげで弥十郎から返しの抜き突きを咽喉の辺りに決められ痛い目にあった。

瑞江は幼いながら猛之進の繰り出す技の先を読んだのだ。そこに軽い驚きと女だてらにと分際不相応をなじる気持ちが綯交(ないま)ぜとなり、膨れ上がった怒りは弥十郎に向けるしかなく、そのおかげでその日は一本もとることが出来ずに散々な目にあったのだった。

それから数年後、猛之進は美しく成長した瑞江を眩しげに見ることになる。暫くして瑞江と一度道場で立ち合う機会があった。瑞江から望まれての立ち合いだったが、三本のうち最初の一本をとられ猛之進としては女を相手に面目を失う結果となったのだ。

後で聞いたのだがその頃、瑞江は鳳鳴流小太刀の中目録を授与されていた。しかし、そのことが猛之進にとっては何の気晴らしにもならなかったことはここに記しておく。その後、両家の間で瑞江との婚姻話が進み、二人は夫婦になったのである。

真剣での立ち合いは刀の長短では雌雄を決し得ない。無論のこと、それは日頃の積み重ねた鍛錬の上に言えることなのだが、振り下ろされる白刃を掻い潜り、いかに踏み込みを恐れず素早く間合いを詰めることができるか、真剣では並々ならぬ豪胆さが求められるのだ。

撃剣の争闘は相手よりも先に踏み込んで白刃を見舞うか、それとも後の先をとり、打ち込みの隙を見て相手の気勢を削ぐかはその時の流れであった。弥十郎の構えを油断なく見詰ながら、数年前の瑞江と三本立ち合ったうちの取られた一本を思い浮かべていた。

踏み込みは浅かったが横面を打つと見せかけて、そのままの勢いで剣尖は見事に猛之進の小手を捉えていた。女だてらにとみて甘く見たわけではなかったことが猛之進を余計に狼狽(うろた)えさせたのだが、残りの二本は藩内で小天狗と呼ばれている技量でもって何とか勝ち取ったのである。

最後は手加減をしない面金(めんがね)が曲がるほどの強烈な面を打ち込み、瑞江は脳震盪を起こして暫く起き上がれなかった。道場の床に立てば女も男もない。勝つか負けるかである。