猛之進は誘いの技をいくつか繰り出してみることにした。

弥十郎はその誘いに乗ってはこなかったが、代わりに間合いの内に入ると鋭い突きを猛之進の胸の辺に二度三度と振るった。それが意外と伸びて猛之進の着物を切り裂いたのである。弥十郎は猛之進の考えていた通りの動きをみせたのだ。

猛之進は胸から下はがら空きになる上段に構えて弥十郎を誘ってみる。そこに罠が待ち構えていることは弥十郎も承知しているだろう。二人は道場で数えきれないほどの手合わせをしており相手の繰り出す技は知り尽くしているのだ。猛之進は弥十郎の足元を見ていた。

鳳鳴流小太刀は相手が上段に構えていれば振り下ろす刃を掻い潜り、突き技を見せて下から上に抜いてくると読んでいた。僅かに口中を潤す唾液をごくりと嚥下(えんか)したときである。

弥十郎の足袋跣(たびはだし)の爪先がぴくりと動いた。その瞬間、腹の底から押し出す気合と共に弥十郎の刀身が月光を帯びてぎらりと光った。案の定、弥十郎は刀身を突くと見せかけ、詰めた間合いを更に深くすると片膝を付き切っ先を上向きにして斬り上げたのだ。

目にも止まらぬ早業であった。だが、先にそれを読んでいた猛之進は後ろに跳びながら脇差を引き抜くと弥十郎めがけて投げたのである。弥十郎の顔が驚愕の表情に変わると、自分の腹に刺さった脇差を信じられないものでも見たような顔付きで見詰めた。

「ひ……卑怯な……脇差を投げるとは……」

「命の遣り取りに卑怯などと言うことはないわ。何をしようと勝てば良いのだ」

「猛之進……この様な武士の風上にもおけぬ卑劣な真似をしおって馬鹿な奴だ。これでおぬしの家も破滅よ」

「どちらにしてもそのようなこと端から承知しておるわ。おぬしさえいなくなればそれがしそれで気持ちは満たされるのだ」

全てが本心ではなかったが、口から出る言葉を猛之進は抑えることができなかった。

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