命運

大声で罵り合う声が板場にまで聞こえ、女将が何事かと血相変えて駆けつけてきた。

「お武家様……子細は存じあげませんが、ここでの無理無体な振る舞いは何卒ご勘弁をお願い致します。他のお客様のご迷惑になりますので……」

常日頃から客同士の争いごとなど慣れているのであろう。女将は怖れる様子もなくいさ毅然とした態度で諫める言葉を口にした。

「ふむ……心得ておる、女将……心配いたすな。このような場所で騒ぎは起こさぬ」 猛之進は弥十郎をじろりと見据えると、殺気立つ気持ちを露に外に去(い)ぬぞと顎で示した。

「おう、望むところだ」

二人は立て掛けてあった刀を腰に帯びると、尚も留め立てしようとする女将の足元にこれで足りるだろうと一分銀(いちぶぎん)を放った。

「お待ちください、お武家様。何があったのかは存じ上げませんが、ここは穏便に済ますことは出来ませんでしょうか」

女将は気丈にも二人の間に割って入ったのだった。

「女将……その方が知ったことではない。口出しをするな」

「いいえ、引きません。どうでしょう。今宵はお酒が入りお気持ちが高ぶっておいでのようです。酔いが覚めれば笑って済ますこともできるのではないでしょうか。後日もう一度お話しになったらいかがでしょう。今日のところはわたくし共にお任せになって……」

「だまれっ! 町家の女風情が我ら武家のことに口を出すなど以ての外である」

こうなってしまうと弥十郎という男は猛之進よりも厄介だった。今にも抜刀しかねない勢いである。

たかが知れた飲み屋の女子がと、却って弥十郎の屈折した矜持(きょうじ)に火をつけてしまったのだ。弥十郎のあまりの剣幕に女将は蒼白な顔になると後退った。

「猛之進、去ぬるぞ」

弥十郎の言葉に猛之進は気負う気持ちを抑えるように無言で頷いた。たたき二人は足音も荒く三和土に立つと血相を変えて表に出た。何事かと通りに出てきた町人たちが殺気立つ猛之進と弥十郎を見ると、押し返されなくても慌てて道を開けた。

「弥十郎、ここで立ち合うのは拙い。奉行所に走られ邪魔が入るやもしれぬ。今から誓願寺の境内にまで行こうぞ。あの場所でなら無住の寺で人などおらぬ」

「うむ……承知……」

猛之進は物見高い野次馬を尻目に頷く弥十郎と共にその場を後にした。

境内は満天の星明かりに照らされ、上部を失くし見方によっては地蔵のように見える石灯籠もはっきりと目に映った。

「猛之進……これは藩に届け出てはいないから正式な立ち合いとは認められず、私闘と見做(みな)されよう」

「それがどうした弥十郎」

「我らのどちらが勝っても互いの家に得になる話ではない。この場に立ち合いを見届ける者が居たほうが良いとは思わぬか、猛之進」